発掘中の川岸遺跡(「発掘された川岸遺跡展」のチラシより引用)

 東久留米市にある「川岸(かわぎし)遺跡」に関する講演・シンポジウムが、2月7日、同市の生涯学習センターでおこなわれた。昨年、2019年からの本発掘調査が完了し、調査報告書が公開されたこともあり、市の教育委員会と発掘を担当した公益財団法人東京都埋蔵文化財センターの共同開催だった。

 川岸遺跡は、東京都と埼玉県の境、落合川が黒目川に合流する地点のすぐ右側に位置する。ヤオコー新座栗原店の真裏にあたり、落合川を挟んだ対岸には東久留米のスポーツセンターがある。現在は調査が終わったことで川の氾濫防止用の調整池となっている。そこに遺跡があったことを示すものは存在しない。

▼講演会の報告

 午前中の講演会に参加した。これだけでもこの遺跡がいかに文化的な価値が高いかがわかるものだった。以下、概略を報告する。

 最初の講演は、東久留米市文化財保護審議会委員・山﨑丈氏による遺跡についての概説だった。川岸遺跡が、旧石器時代、縄文時代(前期中心)、中・近世期にまたがる大規模な複合遺跡であることや、その地形的な立地などについての説明があった。氏自身が発見当事者であり、1979年の遺跡発見のいきさつ(調整池計画の前に発見されている)、史跡の重要性に鑑み「保存要望書」を複数回提出されたこと(結局、保存はかなわなかった)など興味深い話があった。

▼旧石器時代

 講演2は、独立行政法人国立文化財機構文化財活用センター研究員の飯田茂雄氏が「川岸遺跡の旧石器時代について」語った。日本列島の旧石器時代は、約4万年から縄文時代が始まる1万6千年前までとされ、「氷河時代」だったと考えられる。この時代の人びとは、発掘された黒曜石などの「石材」の分析から、関東各地から200キロを超える距離を移動してきたこと、また高い計画性をもって行動していたことなどが解説された。

 川岸遺跡は、約3万5千年から3万年ほど前の遺跡である。その特徴に直径40メートルにもおよぶ典型的な「環状ブロック群」が発見されたことがある。「環状ブロック群」は石器のまとまりがドーナツ状に分布することから「環状のムラ」とも呼ばれている。それが何を意味するかについてはいくつかの説があるようだ。ともあれ都内で「環状ブロック群」はほとんど発見されていないという。このことも、この川岸遺跡の価値の高さを物語っているといえよう。

 なおこの日の午後、「川岸遺跡の環状ブロック群」をめぐって東京都埋蔵文化財センターの方々によるシンポジウムがおこなわれた。以下に題目を示す。

 趣旨説明/東京都埋蔵文化財センター・尾田識好氏

 基調講演 環状ブロック群とは何か? /元同センター・伊藤健氏

 基調報告 川岸遺跡の環状ブロック群/同センター・佐藤悠登氏

 発表1 川岸遺跡の人々の生活・活動エリア/同センター・加藤秀之氏

 発表2 川岸遺跡の人々が利用した石器石材/同センター・間直一郎氏

 発表3 川岸遺跡の人々の石器を作る技/同センター・塚田清啓氏

 発表4 川岸遺跡の人々の狩猟具/同センター・堀恭介氏

▼縄文時代

 第3の講演は、学校法人自由学園最高学部教授の奈良忠寿氏による「川岸遺跡の縄文時代について」である。縄文時代の川岸遺跡の特徴は、約6700~5700年前・縄文時代前期が中心というところにある。縄文前期は縄文時代のなかでもっとも温暖で(現在よりも年平均気温が高かった!)、関東平野でも現在の内陸部まで海が入り込んでいた(縄文海進)。したがって、当時の海岸線に沿って貝塚を伴う大きな集落が残されている。それに対して川岸遺跡は内陸部にある。これもまたこの遺跡の特異性であり、注目すべきポイントである、ということになる。

 また、この遺跡は周辺遺跡と連携して生活していたと考えられる。この遺跡では「製粉具」を生産、近くにある「新橋南遺跡」では「狩猟具」の生産というような役割分担があったことが想像される、という説明があった。

▼中近世

 講演4は、開智国際大学准教授・野本禎司氏の「川岸遺跡の中近世について」だった。川岸遺跡からは古代だけではなく、江戸時代初期の遺構も発掘されている。遺跡周辺は「小野殿ぶち」と呼ばれていた。野本氏は文献史学の立場から古文書によってこの地の支配者「小野殿」とはどういう存在だったかを明らかにする。

 「小野家」は江戸幕府の成立以前は、北条氏に仕えていたが、徳川時代となってからは将軍家に仕えて旗本となり、二代将軍秀忠の時に「鷹匠頭」に就任する。この「鷹匠頭」という役職がポイントで、将軍家が江戸近郊でたびたびおこなう鷹狩のコーディネイト役を果たしていたとのことである。

 鷹狩は江戸幕府の軍事演習でもあったから、東久留米近辺は重要な演習地で、小山村には旗本矢部家、南沢村には旗本神谷家、前沢村には大名となる米津家という武家的な要素が多く見られる。「これらの『武家屋敷』が姿を消し、百姓世界が確立してくるのは、市域においては元禄期に入ってから」というように、江戸近郊の意外な姿が浮き彫りにされた。

▼関連イベント

 なお、「東久留米市郷土資料室特別展 発掘された川岸遺跡展」が2026年3月22日(月)~4月24日(金)、東久留米わくわく健康プラザで開催される。

 3月28日(土)と4月4日(土)には、上記講演2で登壇された飯田茂雄氏による特別展示解説がある。両日とも午前10時~、午前11時~の2回。

参考情報

川岸遺跡発掘調査報告書

消える? 東久留米の川岸遺跡 旧石器・縄文・江戸期の遺跡(ひばりタイムス)

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By 杉山尚次

1958年生まれ。翌年から東久留米市在住。編集者。図書出版・言視舎代表。ひばりタイムスで2020年10月から2023年12月まで「書物でめぐる武蔵野」連載。

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