『石神井推し』書影

 『石神井推し 四季折々の東京・練馬』(内藤史著・彩流社)を知ったのは知人のSNSでだ。サブタイトルからすると写真中心の本のようにもみえるが、石神井〝界隈〟についてのエッセイ集らしいことがわかった。西武線沿線や武蔵野の些末なことをつついている筆者としては、これは見過ごすわけにはいかない。

 ということで、早速入手して読んでみた。今年の8月10日発行となっているので、出てからそれほど経っていない。356ページある。なかなかの大著だ。

 本書によると、著者は1970年生まれ、池袋に近いところで育ち、仕事で関西にも住んだことがあるようだが、2005年から石神井に住んでいるという。東京は「百年に一度」という規模で再開発が進行しているが、石神井周辺も例外ではない。駅は高架化され、こまごまとした道は整備され、かつては狭い商店街を走っていたバスは新しくできたまっすぐな道を走るようになり、駅前では高層ビルが建設中である。

 こうしたまちの変化に、おそらくは危機感を抱いたのであろう著者は、2022年からnoteという配信サイトに石神井をめぐる文章を投稿しつづけている。2026年まで累積したその文章を抜粋し再編集して成ったのがこの本、ということらしい。

《今の開発が「終わりよければすべてよし」の形になればと願いながら》(「はじめに」より)とこの著者は穏当な書き方をしているが、要は「建てたもの勝ち」(p173)、どこもかしこも同じ街にしたがる再開発に対して、文章の形で「まち」を残しておきたいという気持ちが中核にあるのではないか。それにはとても共感できる。「まちへの愛」みたいなものが強調されていないところもいい。

書影ウラの写真 三宝寺池と思われる                                            

 対象としているエリアは、西武池袋線の石神井公園駅前、三宝寺池(石神井城址がある歴史的なスポット)・石神井池(ボート池)周辺、西武新宿線の上石神井駅や上井草駅周辺がメイン。とはいっても、練馬駅や隣の大泉学園駅界隈や、光が丘公園や杉並区の荻窪も出てきて、散歩本のおもむきもある。

 2022年ということは、コロナ禍から抜けつつあったころから、著者はこうした場所を歩いては書き、書いては歩いているのだろう。おそらくは石神井公園で一番の有名人である作家・檀一雄とその友人の坂口安吾や太宰治のエピソードが、ゆかりの場所の痕跡とともに何度も紹介されている。上井草駅近くには、絵本作家のいわさきちひろの自宅兼アトリエ跡に建つ「ちひろ美術館」があり、高浜虚子、草野心平、松本清張、庄野潤三、開高健もこの地に縁があったことも示されている。また、石神井池の「かいぼり」や公園の植生など、石神井の自然環境についても詳しい。意外に残っている銭湯の話や、なくなってしまった店もふくめ数多くの飲食店が登場する。

 荻窪が出てくるのは近隣なのはもちろんだが、本書の模範ともいえる井伏鱒二のエッセイ『荻窪風土記』があるからだろう。著者は『荻窪風土記』について、こんなふうに述べている。

《店舗の実名を延々あげる箇所が度々あるが、今は存在していない店ばかりにもかかわらず、馴染みがあるように感じるから不思議だ。詳しく書きこむことで、ようやくひとつの街の変遷や時代の空気が伝わるということか。》(p140)

 この文章、とりわけ後段は、『荻窪風土記』のみならず『石神井推し』の特質を語っている。

 いまも石神井界隈は「再開発」中である。駅前の高層ビルもさることながら、本書を読んで気になったのは、「外環の2」という道のゆくえだ。これは外環の大泉JCTから南へ延びる道路で、西武池袋線をくぐり、石神井近辺を抜け、青梅街道を越えて世田谷方面へ行く。著者はこの計画について、「車ファーストだな」という感想をもらしている(p194)。計画各所で工事は始まっているが、住宅地も通るから立ち退き問題だってあるだろう。先は見えないが、われわれはそれを見守っていくしかない。

 そう考えて、この本が2020年から年別の構成になっている「意味」がわかったような気がした。著者はこのエリアを無意識的かもしれないが、〝定点観測〟しているのである。駅、公園、道路、店などポイントを定め、「まち」の細部の変遷を見つめ記述する。本書の面白さは定点観測の面白さにある。その営みはこれからも続くだろうが、その中間報告が本書なのだと思う。

『石神井推し』扉 ボート池                                             

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By 杉山尚次

1958年生まれ。翌年から東久留米市在住。編集者。図書出版・言視舎代表。ひばりタイムスで2020年10月から2023年12月まで「書物でめぐる武蔵野」連載。著書に『西武池袋線でよかったね 郊外から東京を読み直す』(交通新聞社新書)等がある。

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