最近主流になったスライド式ドアのタクシー。『ミッドナイトタクシー』でも主人公が運転するのはこのタイプ

 この8月から始まったNHKのドラマ『団地のふたり』をやっぱり観てしまった。観るのは3回目である。最初はちょうど2年前、2024年の9月から、NHKのBSでオンエアされた。小泉今日子と小林聡美のダブル主演。二人は幼なじみで、ともに50代独身、その軽妙でユーモラスなやりとりや、古い団地が〝ふるさと〟という「言われてみればなるほど」感のある設定などで、かなり評判になった。

 NHKのBSで再放送され、そのうち地上波でもやるだろう (人気があったと思われるBSの作品は地上波で再放送される、例えば河合優実主演『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』2023年)と思っていたら、予想どおり地上波「ドラマ10」という枠で今年放送された。

 3回目の視聴だが、それなりに楽しめた。2年前にもこのサイトで述べたことだが(記事①、記事②参照)、日常的でどこにもありそうなことをドラマにする技が生きている。全10話、それぞれのエピソードが、ディテールまで練り上げられ、見ごたえのあるものになっている、と思った。

■『ひらやすみ』の演出

 同じ演出家・松本佳奈監督が手掛けたNHKのドラマ『ひらやすみ』も、日常をドラマにした作品である。この作品は2025年11月から、NHK総合「夜ドラ」枠で20回放送された。主人公のヒロト(岡山天音)は阿佐ヶ谷の平屋住宅に住んでいる(だから「ひらや」+「すみ」)。彼は役者を断念してフリーターとして釣り堀で働いているのだが、この家は近所に住んでいた「ばあちゃん」(根岸季衣])から、いろいろあって譲り受けたものだ。この家に、従妹のなつみ(森七菜)が、美大進学のために山形から出てきて住みつく。

 大きな物語を描こうとすれば、主人公が役者を諦めたり、「ばあちゃん」から家をもらったりするところがメインになってもいいはずだが、その経緯は全20話にわたって挿入されるものの、一(いち)エピソードの扱い。あくまで、主人公たちの日常的なエピソードがメインである。これは私見だが、岡山天音と森七菜の芝居がこのドラマの〝メインディッシュ〟であり、そうした演出は『団地…』と共通すると思われる。

ドラマ『ひらやすみ』の原作コミック第1巻(真造圭伍作、小学館、2021年)                               

 こういう作品は、NHKだからできることなのかもしれない。最近の民放のドラマだと、主人公たちの日常を描くシーンが多くてもベースには大きな物語があり、最後になって主人公の隠された過去が明かされるといった「大どんでん返し」があったりする(TBS『Tシャツが乾くまで』2026年7月~)。

 一般的に評判のいいドラマは、サスペンスものではなくても、この人(たち)は「どうなる?」「ハラハラドキドキ」感があるド派手な展開が必要とされているように思える。だから、きょうびのドラマでは特異な設定、たとえばタイムスリップものが隆盛となるのだろう。そうでもしないと大多数の視聴者は納得しないのだ、きっと。

 もちろん、それが悪いといっているのではない。ストーリー展開でぐいぐい押すドラマは面白いに決まっている。でも、違う方向性があってもいいのではないか。筆者の少ない知見の範囲では、そういう作品は、映画は別として現在NHKのドラマでしか成り立っていないように思える。

 それを《主人公が変化しないドラマ》と呼んでみたい。

 このタイプは、大きな物語がない代わりに、「古い団地」とか「平屋」といった舞台設定に特徴がある。それ以上に主人公を演じる役者の技量が決め手なっている。さらに脇を固める役者も、ものをいう。つまり、ストーリーではなく、役者の芝居が面白さの核心なのだ。さらに劇伴の音楽が魅力的ともいえるが、昨今センスが悪すぎるドラマ音楽はないので、これは当然といえば当然。

■『ミッドナイトタクシー』にひかれる

 なぜこうした特徴を挙げていったかというと、『団地の…』の少し前7月に終わったNHK総合の「夜どら」『ミッドナイトタクシー』(全32話)がこれまた面白く、その理由はなぜかを考えてみたからだ。すると、『ミッドナイトタクシー』もまた《主人公が変化しないドラマ》だと思い至った。

 古川琴音が演じる『ミッドナイト…』の主人公・蘭象子(あららぎ・しょうこ)は深夜専門のタクシードライバーである。もうすぐ30歳、毎回カウントダウンしていき、誕生日が最終回となる。仕事中は制服着用、おかっぱ頭でほとんど無表情、その風貌は、現代美術家・奈良美智が描く不機嫌そうなおかっぱの女の子にどこか似ている。

 芸能事務所の社長で伯母(和久井映見)をテレビ局への送り迎えする定期的な仕事があるようだが、基本的に彼女は流しのタクシードライバーである。仕事終わりの朝には、げんさん(竹中直人)というマスターがやっている「喫茶つかれしらず」にチャリで行き、メニューにない無理難題な食べ物をオーダーし、それにいちいちマスターが応えた「いちご定食」といった面妖なものを食することを日課としている。

 象子がタクシードライバーになった経緯、なぜ象子は無表情なのか、髪型や30歳までのカウントダウンにはどんな意味があるのか、じつは象子には画才があること、そして幼少期自分を捨てた母親との確執といった《象子の謎(解き)》が、通奏低音のようにして流れている。

 とはいうものの、この作品はオムニバス形式となっていて、象子のタクシーにたまたま乗り込んできたさまざまな客の〝事情〟や〝事件〟が、ドラマ全体を構成している。

 客には「宇宙人」や「幽霊」、自分を捨てた「実の母」もいるのだが、象子は動じない。どういう事態でも淡々と対応する(これは喫茶店のげんさんに学んだのかもしれない)。象子と客のやりとりがこのドラマの見どころといっていい。「料金さえ支払っていただければ」というのが彼女の決め台詞だ。

 いうまでもなく、象子の存在感(いくぶん〝不思議ちゃん〟感あり)をつくり出しているのは、古川琴音の力だろう。古川でなければこのドラマは成り立たなかったと思う。NHKは彼女を重用していて、「NHK女優」という異名もあるようで、この3月にNHKの北大路魯山人の伝記ドラマ『魯山人のかまど』(魯山人の役は藤竜也)に出たばかり。唯一魯山人に気に入られた編集者という重要な役を演じている。次作を観たくなる役者だ。

■なんで面白いのか

 あらためて『ミッドナイトタクシー』の面白さを考えてみよう。するとそれは2つの層になっている、といえるのではないか。ひとつは《象子の謎解き》の層である。(ネタバレ御免)象子は最終的に母親をゆるしたと解釈できるので、その意味では《主人公が変化しないドラマ》ではないが、この謎解きだけではドラマ全体は成り立たない。ここに客たちの〝人生〟というもうひとつの層が絡むことで、作品は味わい深いものになっている。史上最年少で向田邦子賞を受賞した脚本家・兵藤るりの面目躍如というべきか。

 タクシーを使った映画には名作が多い。たとえばマーティン・スコセッシ監督、若き日のロバート・デニーロがベトナムからの帰還兵で〝ミッドナイト〟のドライバーを演じた『タクシードライバー』(1976年)、邦題は間違いなくデ・ニーロ作品を意識した作品で、ソン・ガンホ主演、韓国の光州事件を扱った『タクシー運転手 約束は海を越えて』(チャン・フン監督、2017年)、日本映画でも崔洋一監督が在日コリアンや外国人の世界をコミカルかつパワフルに描いた『月はどっちに出ている』(1993年)などがすぐに挙げられる。

 夜のタクシーには、得体のしれない客が乗ってくるかもしれない不気味さがある。だから怪談も多い。その意味でタクシーは時代の〝闇〟を映しやすい媒体といえるかもしれない。いま挙げた作品はそうしたタクシーという特性を活かしながら、その時代の社会的問題をうまい具合に〝のせ〟た、社会派作品といっていいだろう。

 これに対し、『ミッドナイトタクシー』はいわゆる社会派的な方向には向かわない。深夜タクシーだから当たり前だが、基本的に暗い映像に、Kan Sanoの透明感のある音楽がかぶさる。車窓からの流れる夜の風景が多用され、ドキュメンタリーのテイストが強い。一台のタクシーをめぐって、さまざまな人生が交差するオムニバスドラマにふさわしい演出だ。

 では、この作品は〝社会的〟ではないかというと、そうではない。主人公にしろ、客にしろ、このドラマでは、現在の日本社会で生きる漠然とした「不安」、自分の日常がずっと続いていくのかわからない心許なさ、そういったものにふれている。それが視聴者に刺さるのではないか。

 そして、このドラマの面白さは、NHK「ドキュメント72時間」の面白さに似ていないだろうか。「72時間」では、フツーの人が抱える〝人生〟が、図らずも出てしまうところに面白さがある。下手なフィクションなど及びもつかない切なかったり、感動的だったりする物語が明らかになる。そのような面白さは、今回ここで挙げたNHKドラマに通底しているように思えた。

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By 杉山尚次

1958年生まれ。翌年から東久留米市在住。編集者。図書出版・言視舎代表。ひばりタイムスで2020年10月から2023年12月まで「書物でめぐる武蔵野」連載。著書に『西武池袋線でよかったね 郊外から東京を読み直す』(交通新聞社新書)等がある。

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