清瀬市は2月10日、能登半島地震の被災地復興支援として石川県能登町に派遣した市職員らのうち2人の報告会を清瀬駅北口アミューホールで行い、現地の状況や担当した業務、被災地での寝食などについて説明した。(カバー写真:登壇した、上垣真人さん=左と、稲場良輔さん=右)
報告会では、第1陣に参加した子ども家庭支援センター長の上垣真人さんと、第2陣に参加したシティプロモーション課の稲場良輔さんが登壇。2人は能登町役場本庁舎の議事堂に寝泊まりしながら、被災者の罹災証明書の申請・発行業務にそれぞれ従事する中で、被災地の現状を目の当たりにして「厳しい現実を実感した」と話した。
同市は震災発生直後から支援策を検討し始め、1月5日から庁内で被災地派遣へ向けて志願者の募集を開始。1月17日に第1陣として9日間、志願した2人の職員が能登町へ派遣された。その後、1月23日に第2陣が10日間、1月31日に第3陣が9日間それぞれ派遣され、現在は2月7日に第4陣が8日間の予定で被災地入りし支援活動を行っている。
派遣職員は合計8人で、同市によると全て志願者だという。
同市は同時に支援物資として、アルファ米60箱(約3,000食分)、水10箱を用意して持参した。しかし現地では、崩落した壁や雨漏りを塞ぐため、ブルーシートの要望が非常に多いとわかった。コロナの感染拡大も懸念された。そこで急遽ブルーシート100枚とコロナの検査キット1,000回分を手配し第2陣で届けた。
厳しい現状の中でも、2人は被災地の復興の兆しも感じていた。物流は1月下旬ごろから徐々に復活し、町役場隣のスーパーには商品が並ぶようになっていた。電気・水道などの ライフラインはまだ戻らないが、携帯電話やインターネット回線は復活していると話した。
上垣さんは「被災地へ向う際、道路の損傷などによる渋滞で6時間ほどかかった」としたうえで、「帰りは積雪があったにもかかわらず4時間ほどだった」と急速なインフラの復興を実感したという。
一方で長引く避難生活で県外へ転出する人が後を絶たない。特に就学児を持つ若い世代は学業の遅れなどを理由に出ていってしまうケースが多い。
稲場さんは「確かにインフラは日々少しずつ復興している。でも多くの町民が転出してしまった地域は、もう元には戻らない」と顔を曇らせた。