西東京市にあるピピ通り商店街(ひばりが丘2)が3月31日で48年の歩みに幕を降ろすことになった。商店街の運営団体「ひばりが丘団地北商店街協同組合」(安立隆一理事長)が20日に開いた臨時総会で解散を決めた。(カバー写真:車道まで買い物客があふれたかつてのピピ通り商店街 提供=ひばりが丘団地北商店街協同組合)

 4月1日には、隣接していた旧中原銀座商店街と旧グリーン商店街の関係者と新しい商店街「ふれあい通り名店街」を発足させる。

 商店街は1976(昭和51)年に、当時の商店主たちが「アーケードを作りたい一心で設立した」(星洋子専務理事)。ピピ(pipi)通りの名前は、公募によりヒバリの鳴く様子から選ばれた。以来、西東京市と東久留米にまたがるひばりが丘団地(現ひばりが丘パークヒルズ)の住民と周辺住民に親しまれてきた。

 しかし、ひばりが丘団地の建て替え、消費者の消費性向の変化、商店主の高齢化と後継者難などの要因が重なり、商店街は次第に活気を失い、最近は空き店舗が目立つようになっていた。

 2022年には西東京市が主催したビジネスコンテストで、星専務が提案したピピ通り商店街の空き店舗を利用したビジネスプランがグランプリ(最優秀賞)を受賞したが、空き店舗への新規入居も思ったほど進まず、商店街を維持していくのは困難と判断、解散を決断した。商店街のシンボルだったアーケードは2022 年12月に撤去された。

 子どものころにピピ通り商店街の近くに住んでいたという池澤隆史・西東京市長は「活気のある商店街で親と買い物に行くのが楽しみだった。ピピ通り商店街の名前がなくなるのは寂しいが、新たな商店街が活気のある商店街になることを願っている」と期待する。

 同商店街はファミリーレストラン「すかいらーく」(ヒバリの英語名)創業の地として知られ、創業時の商号は「ことぶき食品」。魚の干物などを扱う小さな食料品店だった。その後、多摩地区に数店舗出店したが、巨大資本のスーパーマーケットには勝てなかった。何か別のことで日本一を目指そうとして始めたのが1970 (昭和45) 年の「すかいらーく」。店名は空に羽ばたくという意気込みと、会社創業地のひばりが丘、1号店の住所地である府中市の「市鳥」のヒバリからつけた。

 創業者で(株)高倉町珈琲会長の横川竟さんは、新しい商店街に「お客様と時代の流れの中に必要とされる店が増えて新しい時代を作るいい商店街になって欲しい」とエールを送る。

 ※以下、本記事執筆に際し頂いたコメントの全文。

池澤隆史・西東京市長のコメント

 私は子どもの頃、谷戸に住んでいました。その頃は今と違い、家の周りにはお店などが無く、歩いて買い物に行けるのは、現在の「ピピ通り商店街」の辺りだけでした。当時から多くのお店が立ち並び活気のある商店街で、たまに家族と一緒に買い物に行くことは、とても楽しみにしていたことを覚えています。

 その後、昭和51(1976)年に現在の「ピピ通り商店街」となり、ますます人の賑わう場所となっていました。近年では、本市で開催した2022ビジネスプランコンテストにおいて、「ピピ通り商店街」の空き店舗を利用したビジネスプランがグランプリ(最優秀賞)を受賞するなど、時代の変遷とともに発展してきた商店街だと思います。

 「ピピ通り商店街」の名前が無くなることは大変さみしく思いますが、地元の皆様の心の中では、これから先も記憶に残っていくものと思います。また、新たな商店街が、引き続き、地元の皆様に親しまれ活気のある商店街になることを願っております。

横川竟「すかいらーく」創業者・(株)高倉町珈琲会長のコメント

 「ことぶき食品」は角のお茶店から数軒目、お豆腐屋さんの隣に1962年(昭和37年)に開店しました。私達兄弟がお金を貯めて会社をつくり、やっと開いたお店です。当時はひばりが丘のマンモス団地が出来て数年目、団地に住むお客さんの多くは新婚さんで赤ちゃんのいる家庭でした。

 私は毎朝、築地で修業したおやじさんの店を中心に、新鮮で安全なものを仕入れて品数多く揃えました。おやじさんに教わった「商売はお客さんの要望にお応えすること」という考え方が私の体に染みついていましたので、海苔のバラ売りやシラスの10g売り、塩っぱすぎない自家製の甘塩鮭などを売りました。

 冷蔵庫はまだ各家庭全部にはなかった時代、テレビが普及し始めた時代、料理番組が始まったのですがそれまでの家庭にはなかった「あの番組で使っていた調味料やスパイスはないの?」と聞かれると「明日には築地から入れます。」と答えて、仕入れていたものです。

 数年前に通った時には、その場所は飲食店になっていましたがお茶店は営業していました。

 「ことぶき食品」は多摩地区に数店出したのですが、巨大資本のスーパーマーケットの続々の登場にはとても勝てずに、何か別のことで日本一を目指そうとして始めたのが1970年(昭和45年)の「すかいらーく」です。空に羽ばたくぞという意気込みと会社創業地のひばりが丘、「すかいらーく」1号店の住所地である府中市の「市鳥」のひばり、といった意味を込めてつけた店名です。

 「すかいらーく」の店も今ではなくなりました。お客様と時代の流れの中に必要とされる店はこれからもいい店として輝くことができます。そんなお店が1店1店増えて新しい時代を作るいい商店街になって欲しいと思います。

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By 鈴木信幸

1950年、福島県会津坂下町生まれ。元新聞記者。現在、フリージャーナリスト。1980~81年滝山団地、81~97年ひばりが丘団地に住む。西東京市在住。

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