9月18日の東京新聞に載った「都内基準地価」

 9月の半ばに「都内基準地価」が発表され、新聞各紙に掲載された。基準地価とは都道府県が選んだ「基準地」の価格のことで、毎年この時期に公表されている。公が定める土地の値段は、このほかに国が定める「公示地価」や相続税のときに基準となる「路線価」がある。

 この地価は実際に取引される価格ではないけれど、公が土地の値段を決め、それを発表していることが興味深い。なにが興味深いかというと、あそこは「高級住宅地」といった漠然としたイメージが、土地の値段によって数値化されているからである。実際に取引される値段は違うだろうが、国や自治体が公認しているわけだから、外れた数字ではないだろう。あえて刺激的なことばを使えば、それぞれの土地の「格付け」と読むこともできる。

■土地は「格付け」されている?

 素人なりに土地の「格付け」を読み解いてみたい。新聞に掲載されている「沿線別駅周辺住宅地の基準価格」という図を見ると、いかにも高そうな溜池山王は、図のなかでやはり一番高く、1平方メールあたり5560(千円、以下同)。これに対し、われらが西武池袋線「保谷」は352である。これだと、あまりに差があってピンとこない。

 同じ西武池袋線で比較してみよう。「池袋」があればわかりやすいが、住宅地でないためか載っておらず、練馬の「江古田」を見ると557である。これは多摩地区とさほどの差は感じられない。というか、西武池袋線は相対的に安い、つまり格があまり高くないということである。

 さきの図は、都心から同心円状にほぼ20㎞というゾーンを設定していて、「保谷」はこのゾーンにある。同じゾーンを南下して各路線を比べてみる。西武新宿線「武蔵関」は444、JR中央線「武蔵境」は530、京王線「調布」は479となっている。京王線は中央線より安いが、西武線よりも高い。これは路線別のイメージを反映しているといえなくもない。

 北多摩北部5市(「はなこ」エリア)も挙げておこう。西武池袋線「東久留米」258、同「秋津」205、西武新宿線「小平」268となっていて、あまり違いは感じられない。

 西武の創始者がライバル視していたという東急沿線はどうだろう。「保谷」と同じゾーンの数値がないので、「江古田」(557)とほぼ同距離の田園都市線「駒沢大学」をみることにする。ここは827、少し都心寄りの東横線「学芸大学」は1010で、西武池袋線とかなりの差がある。高級住宅地の代名詞である「田園調布」が695なのは意外に思えるが、単純に都心からの距離ゆえか、理由はわからない。

 これらの数値は変動するから定期的に発表され、さまざまな経済活動の指標となっている。こうした土地のイメージ地図は多くの人が共有しているものと思われ、だれもがいつの間にか土地を「格付け」していることがあるかもしれない。

 この比較作業は、なにかに似ていると思ったら、学校の偏差値比較だということに気づいた。なにやらさもしい気分になってきた。

 小さい差異に自分のよりどころを見出し、優越感や劣等感を覚えたりするのは、品性が疑われる。あからさまに住んでいる土地や出身の学校に自分を同一化させてものを語る人はさすがに多くないだろうが、自分を含め、この「さもしさ」から自由になっている人はどれだけいるだろうか。暗黙の格付けは厳然として存在する。

■「多摩格差」はいまもある?

このことと微妙に絡むのが、いわゆる「多摩格差」という問題だ。

 今年の都知事選挙でも、小池知事が前回の選挙の際に掲げた公約のなかに「多摩格差ゼロ」というものがあり、それを検証すべきという意見はなくはなかった。しかし、候補の乱立と政策とは別なところで当落が決まるとしかいいようのない選挙の現実のなかで、この課題が大きく議論されることはなかったと記憶している。

 「多摩格差」はかつてもあったし、いまもある。ただ、ひじょうに曖昧模糊としている。かつて高度経済成長期、多摩地区は〝ベッドタウン〟として人口が急増したわけだが、それにインフラの整備が追い付かず、その面での格差が生じていたのははっきりしている。しかし、道路や上下水道の問題については、かなり格差は解消されたといっていいのではないか。

 また、教育環境も同様だったといわれる。60年代のはじめ、多摩の教育的な「遅れ」を嫌ったのだろう、筆者のまわりでも区立の小学校に越境通学する生徒が少なからずいた。「区」と「町」でどういう格差があったのかはわからないが、彼らはのちに元の町に戻された。しかし、もう少し都内中心部の区では、中学卒業まで越境が許された学校もあったという。

 またそのころ、北多摩地区の北部には都立高校が圧倒的に不足していたそうだ。「はなこエリア」の5市でいうと、62年になってやっと小平高校と田無工業高校が開校されるという遅れぶりである。もっともこれは、多摩内部での格差といえるかもしれないが。

 昨今、子育て支援が叫ばれ、物価の高騰が続くなかしばしば話題となる「学校給食の無償化」について、多摩地区は及び腰の市が多く、23区に遅れをとっていた。しかし、都の助成があり、やっとのこと9月末までに「はなこエリア」5市もすべて完全実施を発表した(関連記事=北多摩北部5市が学校給食費無償化実施へ 清瀬市を最後に、間もなく多摩全域でも)。

 「やっと」という言葉を2回使っていることからも明らかなように、こういうところに格差はあるといえる。都の助成は、来年あるかは不明で、また「多摩格差」が発生するかもしれない。

■数値に還元できない土地イメージ

 「格付け」マニアのような視点や実際問題の「格差」とは別の角度から、土地のイメージを考えてみよう。

 土岐麻子という「シティポップ」の中堅歌手(竹内まりやほどメジャーではないという意味)がいる。彼女に「BOYフロム世田谷」という曲がある(2015年、作詞は土岐麻子)。もちろんタイトルは「イパネマの娘The Girl From Ipanema」のパロディだが、ボサノヴァではなく、軽快なポップスになっている。「さよならBOY世田谷BOY」とわかれをうたっているのだが、どこか切ないけれど軽やかで湿り気のないメロディー。

 うろ覚えで恐縮だが、世田谷の魔界のような路地に迷い込んでしまった深夜タクシーを救出するというドラマがあった(たぶん98年の『上品ドライバー9 世田谷経堂迷路』)。それくらい世田谷には迷路のような路地が張り巡らされているのだろう。「一通だらけ」で「本音を迂回する」男の心と世田谷の路地が重ねられ、そこに迷い込み行きはぐれた二人、ということか。切ない内容なのにちょっとコミカルでもあり、洒落た感覚がある。このへんが「世田谷」だからということ以上にシティだと思う。

 余談になるが、知人の葬儀に、世田谷の寺に東急の駅からバスに乗って行ったことがある。ひじょうに不便だった。後の酒席でそのことを世田谷在住の友人に言うと、彼は「世田谷の金持ちはバスや電車に乗らないから不便でいいんだよ」と言った。世田谷は魔界だと思った。

 この歌の「世田谷」には代わりはない。東京の住宅地は世田谷に限らず、裏道に入るとどこも迷路だ。とくに多摩地区の路地はそれが顕著で、昔の農道にアスファルトを流し込んだような道ばかりといっても過言ではない。かつて世田谷の一部は北多摩に属していたことがある。迷路のような住宅地という点は似ていても、「BOYフロム北多摩」は成り立たないだろう。

 杉並でもダメだ。「高円寺」だと吉田拓郎の世界になってしまう(吉田は72年に「高円寺」という曲を出している)。

 何がいいたいかというと、数値に還元できない土地のイメージはある、ということである。だから、住民の土地意識は複雑になる。そういうところから、「勝ち組」などといったものとは違う住まい方の価値観が生まれるといいと思っている。

「BOYフロム世田谷」が入った土岐麻子のベストアルバム『HIGHLIGHT』(2017年、AVEX)

 さて、世田谷の一部はかつて北多摩郡に属していたことがある、というような北多摩の歴史は、またの機会にさせていただきます。

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By 杉山尚次

1958年生まれ。翌年から東久留米市在住。編集者。図書出版・言視舎代表。ひばりタイムスで2020年10月から2023年12月まで「書物でめぐる武蔵野」連載。

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