はなこタイムスライターの1人、福島県・会津出身で西東京市在住の鈴木信幸さんが今年10月、『会津人が書いた只見線各駅物語 36駅+2駅に息づく歴史秘話と現在』(言視舎=税込み2,420円)を出版した。東京新聞が11月15日付の多摩武蔵野版トップ記事で扱うなど多摩地区でも話題になっている。鈴木さんに両地域の結び付きにも触れながら自著紹介をしてもらった。(編集部)
▼小平市育ちの大林素子さんも登場
自著の紹介をするのはマジシャンがマジックのタネを明かすようで気恥ずかしいが、執筆の動機や本の紹介、只見線への想いなどを書かせてもらうことになった。
拙著の発売以来、北多摩地区では会津出身者と福島県人会の人たちが、本の購入と宣伝をしてくれており、感謝している。このことが北多摩地区での拙著の知名度アップに寄与していることは明らかだ。
記事を読んだ北多摩地区の人からは、元バレーボール日本女子代表選手でマルチタレントの大林素子さんが本の中で紹介されているのを知って「大林さんと会津の意外な関係に興味を持った」との電話をもらった。
小平市で育った大林さんは、市立第二中学校の卒業生だ。駅ごとにその歴史やエピソードを紹介する拙著の中では、会津若松市の観光大使として会津と只見線の魅力発信に活躍していること(会津若松駅編)、柳津町立柳津学園中学校の応援歌を作詞したこと(会津柳津駅編)を紹介している。
▼車窓に流れる日本の原風景
JR只見線は福島県会津若松市と新潟県魚沼市を結ぶ全長135.2キロの全国屈指の秘境路線として乗り鉄、撮り鉄などの鉄道ファンに人気が高いことで知られる。只見線は2011年7月の新潟・福島豪雨で橋梁や路盤の流出など甚大な被害を受け、一部不通が続いていた。22年10月、11年ぶりに全線開通となり、奇跡の復活と言われた。沿線の紅葉や雪景色、峡谷に点在する農家など日本の原風景を求めて国内外から多くの観光客が訪れている。
只見線の魅力は、東京からの距離が絶妙(遠すぎず近すぎず)で、乗るだけなら会津若松―小出を日帰りでき、四季を通じて春は新緑、夏は霧幻峡に代表される川霧に包まれた緑濃い渓谷、秋は紅葉、冬は木々に咲く雪の華などの絶景を堪能できることだろう。同じビュー・撮影ポイントでも同じ景色は見られないし、同じ写真も撮れない。
▼観光案内ではなく会津人の視点で
本の執筆を思い立ったのは、全線開通の日の22年10月1日、筆者が利用していた塔寺駅の先で、会津若松発小出行きの始発列車が車両故障で立ち往生し、運転を打ち切りダイヤが乱れたというニュースをテレビで見たからだ。塔寺駅が全国ニュースになったのは、後にも先にもこれが最初だったのではないか。
塔寺駅がどこにあり、どんな駅なのかに関心を抱いた人はどのくらいいるだろうと考えた。只見線は鉄道ファンやインターネット上では有名だが、世間ではそんなに知られていない。ならば只見線について本を書けば、生まれ育った会津地方の観光振興と只見線の魅力を発信する一助になるのではないかと思った。
以上は直接的動機だが、11年3月の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故の影響により、会津地方は観光と農業が大打撃を受けたことに、会津出身者として何か役に立ちたいとの思いが伏線としてあった。
会津地方の地震の被害は福島県の他の地域ほどではなかったが、観光客の足は遠のき、農産物は放射能汚染の風評被害で売れず、売れても買いたたかれる状態がしばらく続いた。そこに原発事故から約4か月後、只見線沿線の奥会津地方は新潟・福島豪雨による災害に見舞われた。只見線は2年前、11年ぶりに全線開通したが、観光客数と只見線の利用者数は原発事故・豪雨災害前の水準に戻っていない。
会津観光と只見線に観光客を呼び戻したい ──。そのためには観光案内的なものではなく、会津に生まれ育った一人の人間の視点で書けば多くの人たちに読んでもらえるのではないか ──。筆者は中学・高校生の時分は趣味で郷土史を勉強していた。暇さえあれば自転車で会津中の神社仏閣、名所旧跡などを巡った。当時は国道も舗装されていないところが多かった。たまにすれ違う車がたてる土ぼこりで全身が真っ白になった記憶が懐かしい。
一旅行者の立場としては、既存の観光情報に頼らず、会津地方と只見線の新しい魅力を自分なりに発見するつもりで取材・執筆した。会津人もよく知らない、あるいは思い出してほしい事実、後世につないでいきたい伝統行事などを書き込むことにも努力したつもりだ。
通説や根拠があいまいなことを特定することにも挑戦した。鶴ヶ城天守閣再建にまつわる話として、会津若松市議会が1票差で再建を議決したと言われてきた。筆者もそれを信じてきたが、本の執筆にあたり議事録を調べたら2票差だった(会津若松駅編)。
会津坂下町の生まれで、たこ焼きを考案した遠藤留吉(「元祖たこ焼き 会津屋」初代社長)が工夫を重ねて生み出した生地の味の素が、会津の祝い事に欠かせない郷土料理「こづゆ」なのか、会津の雑煮「つゆ餅」なのかは、留吉の生家に行って「つゆ餅」であることを特定した(若宮駅編)。
会津は奈良、京都に次いで仏教が栄えた土地で「仏都・会津」と呼ばれる。会津坂下町には仏教公伝(伝来年には538年と552年の2説がある)のころに中国人の僧が会津盆地を見下ろす山に庵を開いたという伝承(高寺山伝説)がある。町の教育委員会が発掘調査をしているが、掘っ立て柱の穴や礎石などの遺物が発見されれば、日本の仏教の歴史が書き換えられる可能性もある。このことも詳しく書いた(会津坂下駅編)。
会津には潜在的な観光資源が山ほどある。「幻の温泉」もその一つだ。只見川のほとりにある露天風呂で、春の雪解けのころに只見川の水位が上がるとお湯が湧き出し、雪解けが終わり川の水位が下がるとお湯の湧出が止まり消えてしまう。温泉が出現する日と消える日は毎年違う。この温泉は近くにある民宿の所有で、入るには民宿に入れるかどうか尋ねるしかない。温泉の近くには日本有数の天然炭酸水の泉があり、誰でも自由に汲むことができる(会津大塩駅編)。
奥会津(厳密な定義はないが、柳津町、只見町、桧枝岐村など只見線沿線の7町村を指す)には数百年続く伝統的保存食の「いずし(飯寿司)」がある。いずしは、川魚アカハラを使った発酵食品で、冬を乗り切る大切な保存食だ。ボツリヌス菌による食中毒の恐れから作る人が減って、今では奥会津で作れる人は数人しかいない。製法を消滅させてはいけないと思い、製法の伝承者から作り方を聞き取り、万が一作る人がいなくなっても復活できるように詳しく記述した(会津蒲生駅編)。
▼エコツーリズムに徹せよ
奥会津には、鶴ヶ城と白虎隊自刃の地・飯盛山に代表される会津若松市、猪苗代湖と裏磐梯の湖沼群、ラーメンと蔵の街・喜多方市に負けない観光資源がある。
奥会津の観光振興と只見線の利用者を増やすうえでネックとなっているのがアクセスの悪さと、飲食店や宿泊施設が少ないことだ。例えば、只見町に行くには1日に3本しかない只見線に乗るか、只見線と並行して走る国道252号を利用するしかない。252号で行こうとしても、磐越自動車道会津坂下インターから約80キロも離れているので1時間半もかかる。
飲食店らしいものがあるのは会津柳津駅や只見駅の周辺だけで、しかも夜は早く店を閉めてしまうところがほとんどだ。宿泊施設は、ホテル、旅館、民宿はあるにはあるが小規模で、大勢の観光客を受け入れる能力はない。
個人的には、奥会津の観光振興はエコツーリズムに徹するほかはないと思う。国道を外れれば道は狭く、観光バスを走らせようとすれば道幅を拡げなければならず、駐車場や遊歩道などの整備が必要になる。すると手つかずの自然を改変せざるを得ない。集落内を往来するバスや車、観光客の数が増えれば、住民の静かな生活が脅かされる。現に観光開発を望まない住民も少なくない。
作家の椎名誠さんは、映画「あひるのうたがきこえてくるよ」のロケ地として金山町の沼沢湖を選んだ際、「何も変えないほうがいい」との名言を残した。筆者も同感だ。
高齢化と人口減(過疎化)に歯止めがかからない奥会津の振興は、観光以外にないことは明らかだ。観光開発と宿泊施設の収容力を増やすのは、自然との調和を第一に考えるべきだろう。
筆者は記者時代、取材で国内外を旅行したが、食と泊に関しては「郷に入らば郷に従え」を当然のこととして受け止めていた。寝るところは雨露をしのげればいい、食べられるものなら何でもいいと思っていた。奥会津では本の取材で何泊もしたが、夕食に海老フライや刺身が出てくると腹が立った。地元の野菜や山菜、川魚を使った郷土色豊かな料理を出されると欣喜雀躍した。これこそが旅の醍醐味であり、地産地消の最たるものだと思った。
▼降りて、食べて、泊まって応援を
飲食店や宿泊施設の現状では、奥会津観光に来てくれた人、只見線に乗ってくれた人には満足できない面が多々あることと思う。それでも筆者は、只見線と沿線の自然はこうした不満を乗り越えられるだけの魅力があると信じている。乗り鉄、撮り鉄をはじめ鉄道ファンはもちろん、多くの人たちに、只見線に乗るだけでなく、自分の降りたい駅に降りて飲食し、お土産を買い、宿泊してもらいたいと思う。そうしてもらうことで沿線への経済的波及効果が生まれ、只見線がいつまでも魅力ある鉄道として存続していくことを願うからだ。
以上、会津と只見線について、筆者の見たまま、感じたままを本の一部紹介とともに綴ってきた。本稿の締めとして、筆者の考える只見線の魅力をアピールし、集客する手立てを述べてみたい。
まずは只見線沿線の景観をもっとよくすることだ。今でも沿線の自然景観は魅力にあふれているが、戦後に植林したスギの人工林が目障りになっているところがある。高齢化と人手不足で手入れが行き届かず荒れているからだ。こうした人工林を伐採し、本来の植生であるブナ、イタヤカエデ、ミズナラなどに植え替えれば落葉広葉樹林の景観美がさらに増す。
駅の無人化、列車交換(行き違い)施設の廃止などで使われなくなったホームが、雑草や雑木に蔽われて見苦しいところがある。雑草や雑木を取り除き、花壇を作って四季折々の草花の花を咲かせてはどうだろうか。
▼増発と待ち時間短縮で利便性向上を
そして仕上げは、只見線の利便性の向上だ。会津若松―小出1日3本のダイヤを、上り下りとも早朝と日中の時間帯の中間に1本増発する。会津若松発は5:08と13:05のあいだに、小出発は5:36と13:12のあいだに増発する。そううすれば降りたい駅に途中下車ができ、日の短い季節も全線を通して絶景を堪能できる。増発ができないなら全車指定席の臨時列車を増やせばいい。
会津若松での只見線と磐越西線の乗り継ぎをよくする。磐越西線郡山行き会津若松発10時20分を遅らせるか、只見線会津若松着10時32分(小出発5時36分)を早めればよい。現状ではたった12分差で郡山行きが出てしまう。次の郡山行きに乗るには11時30分発まで待たねばならない。
只見線は全線単線区間なので列車交換の待ち時間がある。会津川口駅と只見駅での待ち時間は23~39分もある。これでは長すぎる。只見線の運転士によると、待ち時間10分程度で十分なので、短縮できないはずはない。
クラウドファンディング(CF)で気動車(1両約1億円)4~5両を購入、JR東日本に贈与し運行・管理をしてもらう。気動車は、4人掛けボックスシートでリクライニングシートにすれば、高齢者でも会津若松―小出の長時間乗車も快適に過ごせる。全車指定席にして乗車券は故郷納税の返礼品にする。「幻の温泉」の出現日、消滅日当てクイズをする。的中者には沿線の無料宿泊券をプレゼントする。
筆者はすでに友人・知人、子供や孫と只見線に何度も乗った。そして考えたキャッチコピーがこれだ。只見線は3度乗る── 乗ってみて、人に話してまた乗って、孫子と乗ればなお楽し。「孫子」は「あの娘」「あの彼」「あの友」に読み替える。
妻は会津柳津までしか乗ったことがない。近く一緒に沿線で2泊して小出まで乗るつもりだ。
【関連情報】
・『会津人が書いた只見線各駅物語 36駅+2駅に息づく歴史秘話と現在』
(言視舎)(Amazon)(楽天ブックス)