志村けん銅像とケヤキ

 新型コロナウイルスに感染して2020年死去したコメディアン志村けんさんが東村山市の知名度向上に貢献したことを記念して西武鉄道東村山駅東口に植えられたケヤキが駅前広場再整備に伴って最悪の場合伐採の危機に直面している。

 東村山市出身の志村さんはドリフターズのメンバーとして「東村山音頭」をはやらせるなど同市を全国に知らしめた。その功績から1976年、市長が感謝状を贈呈、記念としてケヤキ3本が植樹された。2015年には記念樹の看板が立てられ、死去後に設置された銅像とモニュメントとともに“志村けんコーナー”のようになって、今も訪れて写真を撮る人が絶えない。

 東村山駅は2028年完成を目指して高架化工事中で、これに伴い駅東口広場の再整備が計画されている。24年に決まった基本計画によると、車の動線確保などの関係から志村さんの銅像、モニュメントとともに3本のケヤキも移動が必要になる。

 銅像とモニュメントは市のシンボルとして広場中央付近へと「昇格」、ケヤキの1本はすぐ近くに移植される見込みだが、残る2本は大きく育ったこともあり、広場内に収容することが難しく、別の土地を探しての移植か、伐採するしかないという。

 渡部尚・東村山市長は2月20日の定例市議会で「移植するためには多額の費用がかかり、クラウドファンディングなども考えたい。もし伐採せざるを得なくなった場合は木材として活用することも検討する」と述べた。

 生前の志村さんがテレビ番組で駅前を散歩する場面があり「これ、おれの木なんだよな。でもその後すぐ裏にトイレができちゃったんだ」と笑わせていた。駅前がきれいになれば喜ぶだろうが、「あれ、おれの木はどこにいった」と探すかもしれない。

関連情報:
連載「北多摩戦後クロニクル」第47回(ひばりタイムス)

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By 飯岡志郎

1951年、東京生まれ。西東京市育ちで現在は東村山市在住。通信社勤務40年で、記者としては社会部ひとすじ。リタイア後は歩き旅や図書館通いで金のかからぬ時間つぶしが趣味。

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