今年の桜は色が薄かったと感じたのは筆者だけだろうか。例年だと、咲いたかと思うとすぐに満開となって咲き乱れ、ほとんど同時に花が散り始めるというパターンなのに、どこか違う。春爛漫の感じがない。(カバー写真:どこか緑が混じっているように見えた「満開」期の桜4月7日、新座の「みどりと公園」にて)

 本サイトの「桜企画」に、落合川・黒目川沿いの「満開」といわれていた時期の桜を載せたのだが、なにか物足りない。白っぽく、ピンクのボリュームが足りない。「五分咲き」のように見えたのはなぜか。

 今年の桜は、寒の戻りで満開になる時期を逸しているうちに若葉が出てしまい、「満開」と「葉桜」が同居することになった、だから花のボリュームが足りないのではないか、と思うにいたった。素人の仮説です。

▼旧道を行く

 ということで今年の落合川の桜はイマイチだったが、この川の下流「新落合橋」で交差する新座市から東久留米駅方面に抜ける比較的新しい道(東京都道・埼玉県道234号前沢保谷線というらしい)は、すぐにハナミズキ・ストリートとなる。ハナミズキは北米原産らしく、サクラより派手な感じだが、一青窈が歌う「ハナミズキ」の影響もあってか、日本の春には欠かせない花のように感じられる。桜はすぐ散ってしまうが、そのあとはハナミズキだ。

 以下しばらく、東久留米の超ローカルな話となる、ご了解いただきたい。その新しい道路と並行して旧道(名称不詳)がある。この道は浅間神社から駅方面に抜けるのだが、江戸時代から続く道だと考えられる。というのも、この道沿いにはかなり古い石造の道しるべがあるが、それらが江戸時代のものだからだ。

浅間神社(1)も江戸期の創建といわれている。神社からちょっと西に行った小さな橋のたもとに写真の石像が2体(2)。左はお地蔵さまだと思われるが、右の三面の神さまはわからず。この後見る石像と同じくらい古いと感じさせる。案内板はない。東久留米市は「文化財」と考えていないようだ。

(3)はこの石像に隣接する農家の蔵。趣深い。すぐ先には墓地と湧き水がある。そこにはなにやら由緒のありそうな石碑があり、解説板がついている(4)。 

 解説板によると、これは「廻国供養塔(かいこくくようとう)」というそうだ。江戸期の1763年の造立で、市の有形民俗文化財になっている。廻国供養塔というのは、その昔、日本全国66ヵ国を旅して法華経66巻を寺院や霊場に納める活動をしていた「六十六部(ろくじゅうろくぶ)」といわれた人びとがいて、その大願が成就するとき(しつつあるとき)に建てられるもの。この塔は、はるか讃州(香川県)から旅してきた全無という六十六部が、落合村の人びとの協力を得て建てたという由来が書かれているらしい。

 「全無」氏はどのようにしてこの地にたどり着いたのだろう。田無の「六角地蔵」あたりを通ってきたのだろうか。近代以前は、大きな街道から外れると、水路とか湧き水などは間違いなく交通の目印になったに違いない。この意味で先の石像やこの石碑はそういう場所に存在している。古道の痕跡だと思うゆえんだが、いかがだろうか。

 (5)はその湧き水で水浴びをしていたキジバトのつがい。視線がなんとなく面白い。

 ひばりタイムス以来何度もしつこく書いているが、このちょっと先には旧石器時代と縄文時代の遺跡である三角山遺跡(6)があるのだが、それを示すものは何もない。これは東久留米市の文化にとって大いなる損失だと筆者は思っている。

 さて、三角山を左に見ながら道なりに進むと、落合橋を渡ることになる。この落合橋から落合川の上流を眺めると、運のいい日は富士山を望むことができる。富士山信仰とむすびついた浅間神社が近くにある理由がわかる。その富士山の姿は東久留米駅の(今はなき)富士見テラスに負けないものと思っているが、まだ写真におさめていないので先に進むと、斜め左に行く道が分岐する。ここには庚申塔(7)が建っている。

 こちらは1863年の造立。やはり市の有形文化財となっていて、解説板もある。それによると斜め左のほうに行く道が旧道らしく、もともと庚申塔は旧道を向いて建っていたようだ。

「庚申」というのは、年・月・日などに関する時間の概念で、「甲・乙 ・丙・丁 ・戊 ・己 ・庚 ・辛 ・壬・癸 」の十干と「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の十二支の60ある組み合わせのひとつ。「庚申」の日は60日に1回あり、この日に徹夜して眠らず、身を慎めば長生きできるという「庚申信仰」があった。これは中国の道教に由来するが、仏教、神道、民間信仰がいろいろ習合したものだという。

 江戸時代にはそのための「講」が組織され、「庚申塔」が村々に建てられ、人びとはこの徹夜のイベントを〝楽しんだ〟ようだ。この塔は、この地にも庚申講が存在したことを物語っている。

 庚申信仰の対象となる青面金剛(しょうめんこんごう)像が2匹の邪鬼をこらしめているのが右の像。左は(2)の神さまに似ている気もするが、わからず。教えを請いたい。

(7)

 そしてこの分岐を川のほうに行くと、橋のたもとの「不動尊」(8)に出会う。もちろん橋の名は「不動橋」である。

 じつを言うと、この不動尊に貼られたお札が今回の主役の予定だったのだが、前振りが長すぎた。次回につづきます。

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By 杉山尚次

1958年生まれ。翌年から東久留米市在住。編集者。図書出版・言視舎代表。ひばりタイムスで2020年10月から2023年12月まで「書物でめぐる武蔵野」連載。

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