NHK総合テレビ火曜日の午後10時から、いわゆるドラマ10の『しあわせは食べて寝て待て』が終わった。ネットをみるとかなり好評だったことがうかがえる。なぜ「はなこ」でこのドラマを取り上げるかというと、ご存じの方も多いとは思うが、本作のロケ地が東久留米市の滝山団地だからである。
滝山団地がロケ地というと、昨年のこれまたNHK・BSのドラマ『団地のふたり』が記憶に新しい。この作品については何回も書き、本にも載せてしまったので、ここでは繰り返さない。団地が舞台、なにげない日常を描いている、しっかりした原作がある、中年以上の女性層を狙っているであろう……などといった特徴を挙げると、この2つのドラマには共通点が多い。そういうところが受けたのだろうと思うが、『しあわせは…』には独自の何かがあるに違いない。それはなんだろう。
▼薬膳ドラマか?
このドラマの主人公は、桜井ユキが演ずる独身女性・麦巻さとこ38歳。大きい会社で働いていたが、膠原病を患い、結果的に会社をやめざるえなくなり、いまは小さなデザイン事務所で週4日パートとして働いている。それまで住んでいた部屋は家賃的にきつくなり、更新のタイミングで引っ越しを決意。部屋を探していたところ、築45年の団地で家賃5万円、向かいが大家という部屋が見つかり、ここに住むところからドラマは進んでいく。
タイトルに「食べて」が入っているように、ポイントのひとつは「薬膳」。1回目の放送を見た後、これは薬膳のウンチクで構成される食ドラマなのかと早合点した。この季節はこういう体調不良が起こりやすいので、それにはこうした食材を選んだ料理を作って食する、レシピはこれ、というのを毎回くりかえす連続ドラマ、そういうものだと思った。
しかし、そんなイージーなものだったら、こんなに評判の作品にはならなかっただろう。ドラマの核になっているのは、主人公をめぐる団地のゆったりとした、それこそ薬膳料理のような優しい人間関係、そして主人公自身のメンタルだと考えたい。
このメンタルというところが、『しあわせが…』の大きな特色となっている。主人公は病気のせいで、それまでの職場で同僚からイジメに近い扱いを受け、退職を余儀なくされたことが明らかになる。将来の設計はダメになり、母親との関係も悪くなり、心身ともにボロボロ状態で部屋探しをしていたわけで、それを救ったのが隣の大家さん〝親子〟だった。これを加賀まりこと宮沢氷魚が演じていた。
ふたりは血のつながった親子ではない。〝息子〟はいわば居候だが、家主である「すずさん(加賀)」の面倒をみたり、団地の便利屋さんみたいなことをやりながら、薬膳に導かれた質素な生活を実践している。清貧の思想?
そもそも主人公とこの二人をむすびつけたのは薬膳だった。主人公はふたりの暮らしに影響されながら、医食同源である薬膳の考え方を採り入れ、無理をしない生き方を見習い、こころと身体にやさしいライフスタイルを手に入れたことになる。
いうまでもなく不安を抱えながら生きているのはドラマの主人公に限らない。現実問題、ウクライナとガザの戦争はいつ終わるかわからず、異常気候が続き、物価高はとまらず、日本の「失われた30年」は取り戻せるのか不明、格差は拡がるばかりといった状況で、不安なく毎日を過ごせる人はどれだけいるだろう。先日の「はなこタイムス」でも、若者の一番の心配事は「お金」という記事が出ていた。
このドラマは、環境と発想の転換によって主人公がこころの平安を取り戻していく物語と読むことができる。だから、主人公が、意外に緑の多い古い団地環境とやさしい人間関係に癒され、薬膳で心身をデトックス(毒抜き)し、元気ハツラツには見えないけれど、なんとか生きている姿に、視聴者自身もデトックスしていたのかもしれない。
▼「Fragileこわれもの」というテーマ
別の見方もできる。ここまで書いてきて気づいたのだが、このドラマは「Fragileこわれもの」でいっぱいなのだ。まず主人公が「こわれもの」として描かれている。彼女は疲れやすいのか、部屋のソファに横たわっているシーンがしばしばあった。主人公=桜井ユキがしばしば見せる力のない笑顔も印象的だった。
エロおやじ全開で言うが、桜井ユキは脱ぎっぷりがよくてひそかに注目していたところ、あれよあれよという間に人気者になった(同じ理由で注目していたら売れっ子になった瀧内久美という女優もいる)。存在感が抜群なのだと思う。最近でも蓮っ葉なジャーナリスト(ドラマ『ライオンの隠れ家』)から付き人のいる令嬢(ドラマ『虎に翼』)まで多様な役をこなす演技派であり、ときおり見せる妖艶な表情(CMなど)も魅力だった。
それが、この『しあわせは…』では、彼女の見た目は魅力的ではなかった(主観です)。なんでだろうと思っていたら、水凪トリの原作マンガ『しあわせは食べて寝て待て』(単行本は現在5巻まで、秋田書店、『フォアミセス』で現在も連載中)を見てわかった気がした。たぶん、わざとそうしているのである。桜井はマンガの主人公「麦巻さとこ」に、ルックスから表情まで〝寄せて〟いる。意図的に「こわれもの」のようなキャラクターをつくっていたに違いない。独り言が多いのは、マンガテイストが残っていると解釈したい。
そして「こわれもの」なのは、麦巻さとこだけではない。団地のみなさんの人間関係だって「こわれもの」である。大家さんの疑似親子も微妙なバランスだし、古い団地そのものが文字通り「こわれもの」だ。
「こわれものの地球」という言い方もある。「こわれもの」は現代社会のキーワードであり、いまやそれがテレビドラマの隠れテーマになってしまうほど、この世は脆いのかもしれない。
それをひじょうに印象深く表現したのは、30年以上前の曲だが、世界的なロック歌手スティングの「Fragileこわれもの」だと思っている。「Fragile」という言葉はポピュラー音楽と親和性が高いのか、72年にはプログレッシブロックのイエスの『Fragileこわれもの』というアルバムが出ている(ただし「Fragile」という曲は入っていない)。日本でもエブリリトルシング(持田香織)、ミスターチルドレン、TOKIOが同名の曲を歌っている(きっとまだあるに違いない)。
スティングの曲は87年、ニカラグアで「誤解されて」殺されたアメリカ人技術者のために書かれたもので、スティングの代表曲のひとつ。あっけなく死んでしまう人間存在の脆さ、儚さを、涙雨にたくしながら、我々はいかにFragileか、とうたっている。
いうまでもなくこの曲は、現在の国際状況そのものをあらわしている。世界レベルのFragileと身近なFragile。これが通底していると感じられることが、我々の「現在」なのではないだろうか。

