西武池袋線清瀬駅の開業100周年を記念したラッピング車両が、4月27日から西武線を運行している。

 黄色と茶色のツートンカラーが印象的なラッピング車両は、清瀬市が誇る都内最大級のヒマワリ畑をイメージして、西武鉄道が1961年まで採用していた2色塗りを再現した。2000系車両の1編成で池袋線に加え豊島線、狭山線、西武秩父線の各線で運行する。走行位置は同社の運行状況アプリを使って確認できる。

 デザインを手掛けたのは、市民代表として清瀬駅開業100周年記念事業実行委員会の委員長を務める小林純也さんだ。(カバー写真:清瀬駅開業100周年記念事業実行委員会委員長の小林純也さん=小林さん提供)

▪️鉄道マニアが実行委員長に

 ──元々、清瀬市のご出身ですか?

 小林さん:いいえ。出身は西東京市の田無です。仕事の都合で3年前に清瀬に引っ越してきました。

 ──100周年記念事業に関わったのはいつからですか?

 小林さん:昨年10月に「きよせ市民まつり」でロゴマークなどが発表されて、100周年記念事業が公になりました。当時はまだ委員会が立ち上がっていなかったので、一般市民として参加していました。

 ──その一般市民がなぜ委員に?

 小林さん:市役所内で市民を委員会に加えたいという話が出た時に、ご縁があり私に声をかけてくださりました。

 小林さんは鉄道好きが高じて、学生時代には西武鉄道の西武新宿駅と高田馬場駅で駅務アルバイトをするほどの「鉄道マニア」だ。鉄道好きの仲間たちと、三重県の三岐鉄道でいまも走る元西武鉄道701系車両を貸し切り、当時の仕様にして走らせるイベントを主催するなど、精力的に活動してきた。

▪️鉄道マニアのためのイベントに

 軽い気持ちで委員を引き受けた小林さん。しかしふたを開けてみると、1回目の会合で実行委員会の委員長に任命されていたという。

 ──委員長に任命されてどのような気持ちでしたか?

 小林さん:すごいことが始まったという責任感が先にありました。でも好きな鉄道の事業に携わることができる嬉しさの方が優っていたと思います。

 ──委員会ではどのようなお仕事をされていたのですか?

 小林さん:基本的には清瀬市から出た案に対して助言をしたり、記念グッズや記念トレインのデザインなど鉄道マニアの目線で提案をしたりしていました。

 ──鉄道マニアに向けたアイデアを提案していたのですか?

 小林:はい。市は幅広い人に向けてイベントを立案しますし、そういったアプローチは絶対に必要です。一方、私は逆に鉄道マニアの目線でグッズやイベントの提案を行い、痒いところに手が届くようにしました。鉄道に関する事業なので、鉄道マニアに向けたアピールをしっかりと行えばSNSで拡散され、100周年記念事業が広く周知されると考えていました。 

▪️100周年記念はまだまだ続く

 ──ラッピング車両のデザインを担当することになった経緯は?

 小林さん:当初は別のデザイン案もありました。しかし鉄道マニアが最も注目する顔の部分は、私が提案しました。前面のヘッドマークにも工夫を凝らし、かつて西武鉄道で使用していた「行先板」を模したデザインとしました。

 小林さんの脳裏には、仲間と走らせた三岐鉄道での貸し切り電車のイメージがあった。どのようなデザインの車両を走らせれば鉄道マニアが喜んでくれるのか。小林さんには手に取るようにわかっていたという。 

 ──自分でデザインした車両を見た時はどのような気持ちでしたか?

 小林さん:頭の中で思い描いた車両が実物となり、感動しました。そして多くの人が記念トレインにカメラを向けてくださり、やり甲斐を感じました。

 ──100周年記念事業に携わり、どのような気持ちですか?

 小林さん:それほど大きくない私鉄の駅で、開業100周年を盛大に祝う自治体はなかなかないと思います。このような貴重な事業に携わることができたことをとても嬉しく感じます。また清瀬市や清瀬駅の歴史について振り返ることができる良い機会となりました。

 ──実行委員会はこれで解散ですか?

 小林さん:いいえ。来年の3月末まで、実行委員会は解散しません。これからも100周年記念事業として、実施できることはないか検討していきます。引き続きよろしくお願いいたします。

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By 澤田篤志

はなこタイムス編集部|フリーランス物書き|TOKYO854くるめラ(85.4MHz)で毎週木曜日13:00より「くるめラニュース」のパーソナリティ|座右の銘「質より量」|二児の父|ドーナツはコーヒーに浸けて食べる推進派

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