2時間にわたる行田健晃さんの講演に子供たちも聞き入った

 西東京市図書館は18日、夏休み恒例の「子どものための地域を知る講演会」を谷戸町の谷戸公民館で開催した。今年のテーマは「刀・鉄砲と農民たちの幕末―150年前の田無・保谷―」。講師で成蹊中学・高等学校教諭の行田健晃(ぎょうだ・たけあき)さんが古文書などの資料をもとに解説。小学生や保護者、大人ら約30人が耳を傾けた。

■ ずさんな刀狩に「テキトー」の声も

 講演では、まず刀や鉄砲が「武器」として使われた戦国時代が終わり、豊臣秀吉が農民から刀や脇差、槍などを取り上げた「刀狩」に注目。実際は取り上げきれず、放置するなどずさんだった状況や、鉄砲も同様に残り、武蔵国41村で162丁の鉄砲があったという記録が紹介されると、子どもたちから「テキトー(適当)」などの声も飛んだ。

 行田さんは「農民が刀や鉄砲を持つのは当たり前だった」と話すが、いずれも武器ではなく、刀は「ファッション」の一種、鉄砲は畑を荒らすシカやイノシシなど害獣を退治する「農具」だった。だがその後、田無・保谷が将軍の鷹狩りの鷹場に指定されると、鷹のエサとなる鳥をとらせないために鉄砲が取り上げられる。

 転機は5代将軍・綱吉の時代(1680~1709年)。町人に刀を差すことを禁じ、農民も従った結果、「刀は武士だけのもの」というイメージが定着。また、綱吉の生類憐みの令は人間や動物全般を守るための決まりで、動物の命を狙う鉄砲を厳しく制限した。鷹場も廃止され、田無・保谷では弾は込めず、音で脅すことを条件に鉄砲の使用が認められた。害獣対策のほか、下保谷村では生類憐みの令で保護した犬を預かっており、犬の敵のオオカミを脅すために鉄砲が使われた。行田さんは、「綱吉は平和をより強く追い求め、刀や鉄砲の扱いを厳しくした。その結果、それらを武器だと考える人はいなくなっていった」と話す。

■ 農民が剣術稽古、田無農兵も登場

それが再び変わるのが幕末。1800年ごろから幕府が衰退、治安が悪化し、農民らが悪党らに襲われるなどの事件が田無・保谷でも頻発した。このため1860年代には、北辰一刀流の並木綱五郎という剣術家が田無で開いた道場で農民らが剣術のけいこ。農民たちは「自分の身を守る」ための武器として刀や鉄砲を手にし、幕府もこれを認める。

そのころ田無村などの代官・江川太郎左衛門の考案で「田無農兵」が結成される。田無村の名主・下田半兵衛らが中心となり、資金も出し合った。1865年に幕府から田無農兵に鉄砲43丁も渡され、剣術を稽古していた農民らも結集する。翌1866年に武州世直し一揆の一部が田無村をめがけて来襲。田無農兵がこれを迎え撃ち、江川代官は「見つけたら鉄砲を撃て」と命じたという。

ただ、それも1867年に江戸幕府崩壊、田無農兵もなくなると薄れていく。警察の仕組みが整い始め、自分の身を守る必要がなくなり、1876年の廃刀令で刀を差す文化は消える。1877年には下田半兵衛が田無村にあった36丁の鉄砲を政府に返し、民衆が武器として鉄砲を持つ時代は終わりに向かう。

■ 現代にも通じる思いと「歴史を学ぶ面白さ」 

 行田さんは、刀や鉄砲をめぐる歴史を振り返り、「こうした世界のありかたを決めるカギはいつも人々の心の中にある。人の思いによって武器になったりならなかったりするのです」と説く。その言葉には、現在のウクライナなどの戦争や核兵器をめぐる緊張への思いも。そして、「紙や石(碑)に刻まれた文字を手がかりに昔の人々の『心』に迫る…歴史を学ぶ面白さはそこにある」と結んだ。

 講演会には練馬区の小学4年女子も参加。母親によると、「歴史が好きで、とくに徳川家康がお気に入り」という“歴女”。「刀狩がいい加減だったのが面白かった。田無農兵のことは初めて知った」と目を輝かせていた。西東京市の小学2年男子の両親は「歴史の流れと地域のことがコンパクトにまとまっていた。子供より楽しんだかも」と感激していた。

 行田さんは東久留米市出身の31歳。中大附属高校から学芸大、一橋大大学院と進み、現在は武蔵野市の成蹊中学・高校教諭。2021年から西東京市文化財保護審議会委員も務め、「ずっと多摩地区にお世話になっています」。この講演会も大学院で下田半兵衛や田無農兵などを研究した縁で、西東京市図書館に「子供向けなど地元に還元できる講演をやりたい」と提案してスタート。今年が6回目だったが、すでに来年のテーマも決まっているという。

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By 倉野武

1961年、東京生まれ。20年前から西東京市在住。新聞社で30年以上の取材経験があり、近年は地域への関心を高めている。趣味は西東京市のいこいの森公園でのランニング。

One thought on “西東京市図書館が夏休み恒例の講演会 「江戸時代の田無・保谷と刀・鉄砲」事情”
  1. 非常に興味深く拝読しました。歴史上のビッグネームが登場しますが、知らないことばかり。当時の農民の一部が「武装」していたことは比較的知られていますが、刀や鉄砲はさまざまな用途に使われていたんですね。田無農兵のくだりは黒澤の「七人の侍」を想起させて小説にもなりそうです。身近にこんな面白い歴史があったとは驚きでした。

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