清瀬市の結核療養所で過ごした多くの文学者のうち、ことし生誕100年を迎えた作家吉行淳之介と俳人古賀まり子にスポットを当てた「きよせ結核療養文学」の展示が同市郷土博物館(上清戸2丁目)と同市立中央図書館(梅園1丁目)で12月25日まで開かれている。
2人はいずれも1924年生まれで、誕生日は古賀の方が4日早い4月9日。吉行は53年11月に国立療養所清瀬病院に入院、翌年に結核菌に侵された肺の一部を切除する手術を受けるなど病気に向き合う日々を送った。小説「驟雨(しゅうう)」で入院中の54年7月芥川賞を受賞したことが知られている。
一方、古賀まり子は横浜市生まれで、薬学の専門学校在学中に結核を発症したが戦時中ということもあって本格的な治療を受けなかった。吉行の4年前の49年11月、清瀬病院に入院。患者同士で「馬酔木(あしび)」同人の山田文男に出会い、それまでたしなんでいた俳句にあらためてのめりこんだ。馬酔木の主宰者水原秋櫻子の添削指導も受けた。
古賀の病状は極めて重篤で3回に及ぶ開腹手術を受け、脳膜炎によるめまいなどにも襲われた。6年半に及ぶ死と隣り合わせの入院生活だったが「生きた証に」と句作への情熱は衰えず、院内の仲間の支えもあって52年には馬酔木賞(現新人賞)を受賞した。入院中にキリスト教の洗礼を受け、作風は穏やかで美しい水彩画を思わせる。
今生の汗が消えゆくお母さん
紅梅や病臥に果つる二十代
主に祈る花菜あかるき中に臥し
吉行も古賀も抗結核薬ストレプトマイシンや治療法の進歩の恩恵を受けて全快を果たし、社会復帰して文学者としての名声も得た。古賀はその後89歳の長寿を全うした。2人の接触、交流は確認されていないが、同じ病院で同じ時期に療養生活を送ったことは結核療養史、文学史上の一つのエピソードとして興味深い。特に古賀まり子を正面から取り上げた展示は初めてという。
問い合わせは清瀬市経営政策部シティプロモーション課市史編さん室(042-493-5811)まで
【関連情報】
・清瀬市郷土博物館(公式)