広島への原爆投下から1年後の1946年8月、爆心地近くの荒廃したデパートビル屋上から焼け野原となった市内を見つめる若いカップルがいた。当時の報道写真でたまたま「モデル」になったカップルの身元が74年たって明らかになった。
共同通信社のカメラマンとして写真調査部長などを務め、定年後は過去の報道写真の掘り起こし、調査、研究をライフワークとしている沼田清氏がこのほど『昭和の報道写真秘話』(公益財団法人新聞通信調査会=税込み2200円、一般書店では扱っていないので購入はネットなどを通じて)を出版した。
1923年の関東大震災から1945年の終戦前後に至る報道写真にまつわる取材、撮影の事情、「秘話」が29話にわたって取り上げられており、新聞通信調査会の月刊誌「メディア展望」に2016年から2024年にかけての掲載記事をまとめた。第1部「昭和前史」、第2部「昭和20年の同盟通信社写真部の活動」、第3部「ヒロシマその後」で構成されている。
沼田氏が現役時代から続けた共同通信所蔵写真の徹底的な調査、分析がベースになっているほか、その後の追跡取材、発掘の成果が随所に反映されている。太平洋戦争に関する写真では共同通信社の前身で終戦まで存在した同盟通信社のカメラマンが撮影したものが多数を占める。

冒頭で取り上げたカップルの写真は、同盟解散の後を受けて発足した共同のカメラマンが撮影し、新聞向けに配信されたものだった。沼田氏は2016年に共同のアーカイブからこの写真を発掘し、撮影日時、場所などの詳細な分析に取り組んだ。ちょうど同じ年、東京大学大学院情報学環の渡邉英徳教授も米国のアーカイブからこの写真に注目。人工知能(AI)でカラー化するプロジェクトを進め、SNSで発信した。
この経緯が朝日新聞で報道されたのを目にした沼田氏は渡邉教授と連絡を取り合い、写真のデータが明確化、豊富化されることになった。そしてこの写真を含むカラー化された戦前、戦争中、戦後の写真集が2020年、渡邉教授と教え子の庭田杏珠さんの共著で出版された。これを見て「ここに写っているのは私だ」と名乗り出たのがカップルの男性川上(かわうえ)清さんだった。
川上さんは終戦当時16歳。カップルのお相手は同い年の片山百合子さんで、2人は後に結婚した。当時たまたまデート中に廃墟となった福屋デパートの屋上に上ったところ、原爆投下1年後の取材に来ていたカメラマンや映画クルーと出合わせたという。百合子さんは残念ながら2020年春に死去していたが川上さんは健在で、沼田氏の取材に答えた内容や写真が本書中に盛り込まれ、1枚の報道写真をめぐるドラマを生き生きと物語っている。
このほかにも報道写真をめぐる新事実の発掘や捏造の暴露、定説への疑問などが丁寧な取材、分析、考察を通じて数多く示されており、ミステリーを読み進めるような迫力と魅力がちりばめられている。沼田氏は「戦後80年、昭和100年の節目に出版できたことを喜んでいる」としながら「記述内容について情報があればお知らせいただきたい」と衰えない意欲を見せている。


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