西東京市下保谷地区には、正月の松飾りをしない家がかなりある。そのほとんどのルーツが江戸時代にさかのぼる旧家だ。
下保谷の歴史に詳しい「下保谷の自然と文化を記録する会」の髙橋孝さん(77)によると、江戸時代の宝永3年(1706年)に名主以下97人による「惣百姓連判状」に「松飾りを控える」と受け止められる内容が認められている。
惣百姓連判状は幕府の御触書(おふれがき)に対する請状(うけじょう)で、髙橋さん宅の古文書の中にある。御触書は未発見だが、その内容は「若木を含めてマツをいっさい伐ったり売買したりしてはならない」というようなものだったらしい。
請状が書かれた時期から類推すると、御触書は明暦の大火(明暦3年=1657年)後に出されたようだ。当時、幕府は大火後の江戸市中再建のため、建築用材の確保に奔走していた。下保谷の人たちは幕府の意向を忖度し、松飾りをしなければマツの若木を伐らずに済むと考えたわけだ。 請状提出から300年以上、21世紀に入って四半世紀になろうとする今日、習慣化したとはいえ、江戸時代からのしきたりが絶えることなく今に受け継がれている。