「戦争とハンセン病」の講演をする西浦直子・国立ハンセン病資料館学芸員

 戦時下、ハンセン病療養所に収容されたこどもたちは治る希望を持てない治療に耐えた上、さまざまな厳しい境遇の中で生きなければならなかった。12月14日、東村山市青葉町の国立ハンセン病資料館で「戦争とハンセン病」と題する特別講座の第2回として「戦争とハンセン病療養所のこどもたち」が開かれた。

 同資料館の西浦直子学芸員が講師を務めて約1時間、日中戦争の開始から45年の終戦に至る時期、全国各地の国立療養所に収容された主に15歳以下のこどもたちの様子について証言や残された資料などを基に説明し、参加した約150人が耳を傾けた。

 西浦学芸員は「療養所のこどもの暮らしと労働」「飢えと死」「大人による支配とこどもたちの中の格差・確執」などのテーマに沿って、療養所の中では絶対的な少数者としてのこどもたちがどのように生き延びようとしたかを解きほぐしていった。各療養所ではこどもによる文芸を推奨したが、「暗い面は表現しないように」導かれた面があって、額面通りには受け取れない。このため現在残された回復者の人たちの声も注目したという。

 戦時期に入って療養所も軍隊調になり、こどもたちも労働に駆り立てられ、食料不足が激しくなると園内自給を余儀なくされるなど過酷さを増していった。「少年団」が組織され疑似軍隊的な振る舞いを求められることもあった。

 療養所のこどもたちはハンセン病患者としての差別に加えて戦争、療養所での大人による支配、こども同士の格差・確執という幾重もの苦難に直面し「こどもらしさ」を犠牲にしながら生き抜く術を探っていった。その中で鋭い感覚と観察眼で身の回りの出来事を書き残し、文学者の高い評価を得た少女の作品も生み出された。

 西浦学芸員は「療養所のこどもたちの状況が戦後どのように変化したのかにも触れたかったが時間がなかった。このようなイベントに多くの方が関心を持ってくれるようになっているのはありがたい」と話した。

 同資料館1階ギャラリーでは2025年度企画展として「お父さんお母さんへ ハンセン病療養所で書かれたある少年の手紙」が12月27日まで開催中。

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By 飯岡志郎

1951年、東京生まれ。西東京市育ちで現在は東村山市在住。通信社勤務40年で、記者としては社会部ひとすじ。リタイア後は歩き旅や図書館通いで金のかからぬ時間つぶしが趣味。

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