ハンセン病回復者で、ハンセン病への差別・偏見と闘い続け、多くの著書もある伊波敏男さん(83)の講演会が9月20日、国立ハンセン病資料館(東村山市青葉町)で開かれ、自らの波乱に満ちた人生を赤裸々に振り返りながら人権の重要性を訴えた。
伊波さんは沖縄県・南大東島に生まれ、米施政下の1957年、14歳の時にハンセン病と診断され国立ハンセン病療養所沖縄愛楽園に隔離収容された。勉学への熱意から同療養所を逃げ出し、鹿児島県の星塚敬愛園をへて岡山県立邑久高校のハンセン病療養所入所者を対象とした新良田教室に入学。その後東村山市の療養所多磨全生園に転園して中央労働学院に学んだ。
ハンセン病への感染歴を隠して生きる回復者が多い中、伊波さんはあえて隠すことなく差別と闘いながら社会復帰を目指す道を選んだ。その分社会の厳しい逆風も受けることになった。結婚して一男一女をもうけたが、周囲の無理解が原因で家族の離別も経験した。
社会福祉法人での勤務を経て作家に専念、自らの生い立ちや人々との交流などを題材とした数多くの著作を著し、ハンセン病差別の克服や人権問題の解決を目指した社会福祉、教育活動を続けている。全国を飛び回っての講演会は400回を超えた。また国から得た賠償金を活用してのフィリピンにおける地域医療支援活動なども高い評価を受けている。
講演で伊波さんはさまざまな時代のエピソードを生々しく織り交ぜながら感情を込めた話しぶりで歩んだ道の物語を進めた。沖縄での感染確認と家族の苦悩。入所した沖縄愛楽園に来園した作家川端康成に励まされての勉学への覚醒。父親との緊迫の沖縄脱出劇。新良田教室、中央労働学院でのさまざまな人々との出会いや学びを通じて人生と社会に目を開かれていった過程。ハンセン病差別との闘いと社会の変化は進んだように見えたが、人々の意識変化はなかなか追いつかなかった。
ハンセン病患者に対する人権侵害の象徴である強制隔離を定めたらい予防法廃止から30年、ハンセン病国賠訴訟判決確定から25年たった今でも社会には差別と偏見は根強く残る。伊波さんは「法律や制度を策定して、この病気をした人たちも共に暮らせる社会統合を国家目標にしたが破綻している。それは社会の弱さの表れだ。国家賠償訴訟でハンセン病の歴史がやっと人権の尺度で問われたが賠償によって救済されるものは限られる」と指摘。社会の無関心を最も恐れるという伊波さんは「語り続けるしかない。人権を学校教育に丸投げするのではなく家庭でも話し合ってほしい」と述べた。
また講演の最後で「平和な国家でなければ人権は守れない。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本理念とした憲法が公布されて80年だが、このところやたら『国家』という言葉に関わる立法がなされているのが気になる。皆さんに訴えます。人と人が寄り添い合い、再び戦争のために武器を取らない国にしてください」と締めくくった。
講演を企画したのは「ハンセン病資料館友の会」というボランティアグループ。世話人の伊東郁乃さんは「資料館を知ってもらうために外部の市民にできることがあるのではないかと4年前に立ち上げた。資料館の協力を得てこれまでに作品展、講演会、読書会などを重ねて、今日の講演会が第17弾。ハンセン病以外にもさまざまな差別・偏見問題をテーマとして取り上げている」と話した。


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