西武池袋線ひばりヶ丘駅南口から、谷戸新道を田無方面に向かいまっすぐ南下してちょっと、バス停でいうと「住友重機械工業前」のすぐそばに、西東京市の「谷戸せせらぎ公園」がある。この公園の南側は少し高くなっていて、いまは大きなマンションが建っているが、1998年までは明治薬科大学があった。それを知る人には、明治薬科大があった場所の隣といったほうがわかりやすいだろう。(カバー写真:「せせらぎ公園」の入り口からの眺め。公園が窪地であることがわかる)

 入口の案内板には意外なことが書かれていた。

 《田無の発祥の地は、年代は明らかではありませんが、水の便に恵まれていた谷戸地域であろうと推定されています。》

 つまり、ここは田無という村あるいは集落が始まった場所ということになる。

 公園は2001年の開園、大学の移転の流れで整備されたと想像される。「水の便に恵まれて」というくらいだから、たしかにこの場所は窪地で、いかにも水が湧いていそうなロケーションになっている。公園には池と小さな水路があるが、訪れた日は設備が故障していて水が止められていた。

 それにしてもこの場所は、西武新宿線・田無駅がある中心街からずいぶん離れているし、なんでここが発祥の地?と思わずにいられない。

 『田無市史』をのぞいてみても、旧田無市内の石神井川周辺には縄文時代の遺跡の存在が認められているし、石神井川をもう少し下ると旧保谷市には大規模な縄文遺跡である下野谷遺跡があり、国史跡に指定されている。ということは、田無のはじまりは縄文人が住んでいたであろう石神井川周辺ではないのか、という疑問がわいてくる。

 しかし、先の案内板には「年代は明らかではない」とある。ひょっとするとそれは縄文時代だった可能性もあるということだ。『田無市史』も、縄文時代の市内にはこのような窪地はいたるところにあっただろうと述べている(第2章第4節 窪地地形と考古学調査)。

 たしかに縄文時代、田無地区に人びとが暮らしていた可能性は高いが、この地がそうだったかどうかはわからない。さらに、田無の縄文遺跡に暮らしていた人びとと、その昔「田無村」を形成した人びとが、直接つながったかどうかもわからない。むしろその可能性は低いだろう。なので、そのミッシングリンクを考えるには、いろいろな伝承が大切になってくる。

▼移動する神様
 「せせらぎ公園」あたりが、田無の発祥地の地と目される理由に、田無の象徴的な存在である田無神社の前身が、この周辺にあったことが挙げられる。田無神社の由緒書(先の案内板に載っている)によると、それは、尉殿権現(じょうどのごんげん)という神社で、公園から300メートルくらい南の宮山(現在の田無二中の場所)にあったという。宮山は村の中心で、正応年間(1288~1293年)、鎌倉時代にはそこに鎮座していたらしい。

 しかし「せせらぎ公園」と「宮山」は少し離れているのが気になる。そこで田無神社のホームページを見てみると、少し違う解釈が載っていた。

 《(水を司る神様が)当初は北谷戸に尉殿大権現と称して鎮座していましたが、16世紀のはじめ頃に宮山(現在の田無第二中学校のプールの辺りに)に尉殿大権現が移されました。》

 つまり、最初に(おそらく鎌倉時代)水の神さまが鎮座していた「北谷戸」というのが、「せせらぎ公園」あたりなのだろう。それが16世紀というから室町から戦国時代に、「宮山」に移動したということである。だから「せせらぎ公園」あたりが田無の発祥の地なのだろう。

 なお、尉殿権現は暴風を鎮め、水を司るといわれる龍神とされる。せせらぎ公園内に「龍神の井戸」があるのは、これに由来するものと思われる。

 さらに時代が下り、江戸時代になると、田無周辺の様相はかなり変わる。なんといっても青梅街道の開通が大きい。江戸城を増改築するために材料運搬の必要もあって青梅街道が開かれると、街道近くに住む人びとが増えていった。村の中心は移動したのだろう。それにともない尉殿権現は17世紀、現在の田無神社の位置(西東京市田無町)に遷座したという(以上、田無神社のホームページを参照した)。

 また同じ頃、尉殿権現は、田無神社とは別のところにも分祀されている。その名もずばり尉殿神社で、せせらぎ公園から300メートルくらい東、西東京市住吉町にある。ここは旧保谷市であり、この神社は上保谷地区の鎮守さまだという。

 なぜ尉殿権現が田無と保谷に分かれて祀られたのだろう? 田無と保谷の綱引きだろうか? その理由は不詳だが、田無神社には男神・級長津彦命(しなつひこのみこと)、尉殿神社には女神・級長戸辺命(しなとべのみこと)が祀られ、二つの神社の神さまは夫婦であるという伝承が残っている。

 「谷戸」と「保谷」は、地名的にはかなり近しいものを感じさせる。保谷の発祥の地もここだったりして……(筆者の妄想です)。

 辰年の今年、田無神社が5柱の龍神を祀っているということでにわかに注目を集めた。「はなこタイムス」でも取材しているので、詳しくはそちらを参照してほしい。

【関連情報】
・辰年で龍神祀る田無神社が大人気 賀陽宮司に聞く 参拝事情と正しい流儀(はなこタイムス
・田無神社(HP

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By 杉山尚次

1958年生まれ。翌年から東久留米市在住。編集者。図書出版・言視舎代表。ひばりタイムスで2020年10月から2023年12月まで「書物でめぐる武蔵野」連載。

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