西武多摩湖線の八坂駅 道路は府中街道

 東村山市を走る鉄道路線は複雑だ。大阪〜神戸つなぐ私鉄どころではない。めちゃくちゃに入り組んでいるのだ。この界隈に住んで50年近くなるが、いまだに間違えて思うところに行けないことがある。

 そんな市内を走る路線のひとつ西武多摩湖線には「八坂」という小さな駅がある。八坂神社が近くにあるので、そう付けたのだろう。この駅のまわりは意外と賑やかで、東村山でいちばんの繁華街である西武新宿線の「久米川」駅近く「モザーク通り」につながる商店街は狭いながらも活気がある。「八坂」と「久米川」はあまり離れておらず、ゆっくり歩いても徒歩10分といったところ。このへんにも、複雑な路線環境があらわれている。

 さて、八坂だが、東京郊外の田舎町と侮ることなかれ。東村山を南北に貫く道(東村山以南は府中街道)は旧東山道であり、のちには鎌倉街道となった。途中に武蔵國府、武蔵国分寺があり、奈良時代には幅50メートルもの道が通っていた官道であった。

 鎌倉時代末期には新田義貞が上州からこの道を通って鎌倉まで攻め入った。東村山にはその名残が残っている。なだらかな丘陵である八国山がそうだ。この丘陵は旧東山道を東西に貫いている。一角には将軍塚というおそらく新田義貞に因んだのであろう小さな塚がある。八国山の名もここから関八州を見渡せたからだという。この尾根を西へ行くと西武園に続いている。

 「西武園」といえば、西武鉄道には同じような駅名が3つある。競輪場がある「西武園」(西武園線)、ベルーナドーム(旧西武ライオンズ球場)のある「西武球場前」(狭山線)、球場と多摩湖駅をつなぐ山口線(レオライナー、旧おとぎ電車)にある「西武園ゆうえんち」。というように似たような駅名だが、路線は3駅とも違う。だけれどそれぞれの場所はすぐ近くだ。

 この複雑さは、西武鉄道が複数の鉄道会社を買い取って運営してきたためだ。

 僕は都内の中央区に勤めていたため、八坂からいろいろ乗り換え、西武新宿線の高田馬場を経由し、地下鉄東西線に乗り、2時間近くかけて通勤していたことがある。

 つまり、八坂→(多摩湖線)→萩山→(拝島線)→小平→(新宿線)→高田馬場という経路である (多摩湖線には西武新宿に直通する電車があることはあるのだが、2025年2月現在、平日でも1日1本!である)。埼玉や千葉から通うほうがずっと便利だった。

 多摩湖線に乗って中央線の国分寺駅に出るという経路もある。新宿や東京に簡単に出られるというメリットがあるが、JRの運賃が倍かかるので、西武線と地下鉄を乗り継いで行くしかなかったのである。

 もうひとつ八坂駅をめぐる記憶がある。かつて八坂駅の近くに個人経営のスーパーマーケットがあった。なんとその2階の奥にはライオンが飼われていたのである。僕はそれを見た覚えがあるが、幼児の幻想であるとずっと思っていた。しかし、八坂で昔から美容院を開いていた婦人にライオンのことを聞いたら、たしかにそういうことがあって、スーパーのオーナーがライオンを連れて散歩していたと証言を得た。遠き日の記憶は幻ではなかったのだ。

 京都の八坂神社には有名な獅子の狛犬がいる。東村山の八坂神社にも獅子の狛犬はいる。だから近所にライオンというのは、洒落みたいな話ではある。

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By 手塚肇

1958年生まれ。東京出身。東村山市立萩山小学校から東久留米市立第二小学校に転校、同校卒業。10年ほど前まで会社員だったが、脳梗塞を発症後引退。現在無職。趣味乾布摩擦、怪談、映画鑑賞。

16 thoughts on “【北多摩駅前物語】八坂駅編 “ライオン”の住む街・八坂”
  1. 八坂に官道が通っていたとは驚きました。八坂駅裏手のラーメン屋さんを思い出しました。

    1. コメントありがとうございます。確か紋次郎という店で愛想のないマスターがいましたね。

      1. ジモティのぎりもたです。自分は東村山市立東萩山小出身なので、子どもの頃は府中街道より向こうへは遊びに行っちゃだめっていわれていて、八坂駅の界隈はなんとなくミステリアスでした。お猿がいる靴屋さんとか、虎?を飼っている人がいるとかいないとか。ライオンだったなんて~。当時、スポーツ用品はモリタスポーツに行かないと購入出来ずー。自転車に乗れない母とずいぶん歩いて買いに行ったなあ。
        自分が母になってからは電車好きな息子と八坂駅を利用していました。八坂駅のホームからみる夕日や富士山に癒されていました。積雪の中を西武遊園地駅(今は多摩湖駅)まで雪のトンネルを何度も往復していました(*^^*)(西武線は大雪でも決して止まらない- ̗̀( ˶’֊’˶)ドヤッ)
        東村山にしか住んだ事がないです。八坂商店街界隈のお話を読ませていただき、幼少期~子どもたちが小さかった頃を思い出しノスタルジックな気分です。「北多摩駅前物語」のファンになっちゃいました(⌯’ᵕ’⌯)´-

    2. コメントありがとうございます。確か紋次郎という店で愛想のないマスターがいましたね。

  2. 府中街道が川崎から、そこまで伸びていることを知り、府中街道を辿ってみたくなりました。

    1. そうこの辺は江戸ができる以前の武蔵国の中心地だったのです。武蔵国分寺跡もあれば国府跡もあります。

  3. 私も八坂のスーパーに虎が飼われていたと聞いたことがありました。今でも変な商店街ですね。

  4. 中学校時代、高校時代と、車を運転するようになった、学生時代、、、いつも、なんかよくわからない場所でした
    あらためて複雑な線路網だったのですね  その辺りのわからなさをそのままにして、遠くに引っ越してしまい、もう一度訪れてみたいけど、難しくなってしまいました  それにしても、ライオンを飼っていたスーパーがあったなんて驚きです。八阪神社の狛獅子と、スーパーのライオンと、西武ライオンズ…面白いです

    1. この辺りの線路網の複雑さは本が一冊書けるくらいです。ま、ライオンお話題は洒落みたいなものですね。笑

  5. こちらに越してきて20年以上…やっと私自身が動きだして、色々な地域のことを知ることができています。
    にしても…身近な地域にこんなとんでもないお話しがあったとは…、とても興味深くまだまだと思い知らされました…

    1. 記し多様にこの辺りは古代中世と非常に関わりのある土地です。私も勉強中です。

    2. 書いた様にこの辺りは古代中世と非常に関わりのある土地です。私も勉強中です。

  6. 萩山に住んでいる者です。東村山市役所には保谷狭山自然公園自転車道路で西に向かい、八坂駅から府中街道を北進して行きます。高低差がなく快適で季節を感じられるルートです。帰りに八坂のイオンで買い物もできます。20分くらいの道のりですが苦になりません。

  7. こんなに駅だらけとは!
    しかも西武線だけで!
    歴史とちょい昔と現代がテンポ良く語られていて面白かったです。八国山が実は要衝だったとは。

  8. 『中野のライオン』。筆者である向田邦子さん本人が、昔、中野で乗っていた電車の車窓からライオンが居る家を見つけた、という話である。たてがみのあるライオンの隣にはよれよれのシャツを着た男性。そんなありえない光景が、民家の二階に開けられた窓の中で広がっていたのだが、その時同じ電車に乗っている人たちが騒ぐことも無かったとのことだった。ところが、この『中野のライオン』が掲載されて間もなく、このライオンを飼っている本人から連絡があり、新宿で会えることになったのである。この時の話が、『新宿のライオン』で書かれている。
    以上引用。
    中野のライオンと八坂のライオン、いずれも奇天烈なお話ですが、向田氏と当コラム筆者はライオンで繋がっていますね。

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