諸般の事情によりまずてっぺんの部分のイラスト

 今回は小平駅からちょっと歩いたところにある「小平霊園」。

 小平霊園は東村山市、小平市、東久留米市の3市にまたがっている。管理は東京都公園協会。区画数53。

 この霊園の正面入り口から中央参道を600m行った突き当たり、霊園園内マップで見ると「草地」と表示されている手前に丸いロータリーがある。この真ん中に昔「給水塔」があった。

 私が小さい時から、当たり前のようにそこに建っていた給水塔。

 名前は知っているけど、何のためにあるのか考えたこともなかった昔。

 なぜ人が住んでいない霊園に「水」が必要なのか。よく考えたら墓参りに花を手向ける、お墓を洗い、浄めの水をかける、途中にトイレも行きたくなる。と思った以上に「水」の需要が多い。

 開園当初、1948(昭和23)年の霊園は24区画。水汲み場は各区画中央に1箇所ずつ、通り沿いにもそれぞれあったようだ。

 これを賄うために、霊園では園内に井戸を掘って給水していたのだが、区画が増えるに伴い井戸だけでは間に合わなくなってしまった。そこで1963(昭和38)年、東村山町側から水道を引いて、園内の小平市(小平は62年に市になっていた)・久留米町域へ送水するために「給水塔」が造られた。高さ14m、三角柱の白塗りコンクリート製。当時のランドマークだ。

全体像はこんな感じ

 改めて見るとこの給水塔としては変な形だ。カッコいいけど。

 普通の給水塔はポテトチップスの容器のような円筒形か、チュッパチャップスのような形で、上層部が貯水槽になっている。

 しかし霊園の給水塔はどこが貯水槽なのかわからない。地下から汲み上げるパイプも見当たらない。そこで無知だった子どもの頃のお詫びに、今更だけどこの給水塔の中をwikiの知恵を借りて想像してみた。霊園の給水塔を造ったみなさん、間違っていたらごめんなさい。

給水塔の構造(想像図)

 その後、1980(昭和55)年、小平市側からも水道管が敷設されたため、給水塔の役目を終える。

 1998(平成10)年ごろ撤去。

 久しぶりに昔のアルバムを見ていたら、給水塔の下で撮った写真を見つけた。

 志木から遊びに来ていた叔父家族と一緒に撮ったものだ。 日付を見たら「s38.11.10」。つまり給水塔ができた年に記念撮影したというわけ。新しもの好きだった親父がやりそうなことだと思った

妹と従妹たちと私

参照:「開園50周年を迎えて」財団法人 東京都公園協会・小平霊園管理事務所 平成10年発行。

Loading

By 工藤六助

1955年、板橋区生まれ。イラストレーター。1961年、北多摩郡小平町多摩の台住宅に転居。現在東村山市在住。映画オタク、地図オタク。左利き。

One thought on “【北多摩駅前物語】小平編 昔、小平霊園にあった給水塔のこと”
  1. 50年以上も前、小四まで萩山に住んでいたので小平霊園は遊び場でした。タワー(給水塔)は霊園のシンボルでスタイルも良く入り口からも距離がありよく友達と走って競争したりしました。こんな構造だったのですね。
    園内で遊んでいると管理の方が自転車で見回っていてよく怒られました。
    給水塔はこんな構造だったのですね。イラストもわかりやすく、男の子、女の子も昔日を思い出します。さすが工藤六助さん!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です