武蔵野線新久米川駅への出入り口イメージ図(久米川駅まちづくり研究会提供)

 西武新宿線の久米川駅は1日平均の乗降客が3万人を超え、周辺には大小の商店がひしめいてにぎわいを見せている。しかしプラットホームと改札口は南北に分かれ、改札を通らずに行き来できる自由通路もない。線路を渡るには駅直近の狭い道路を、踏切の開く束の間に車、自転車、歩行者が混然となって渡るしかないような「前近代的」な駅でもある。隣の東村山駅が高架化されたため、久米川駅の立ち遅れ感がますます目立っている。

南口駅前再整備もマイナーチェンジ?

 そんな久米川駅だが、約4,600平方メートルの南口駅前広場再整備計画が進んでいる。「安全安心で歩きやすい駅前空間。誰もが使いやすい交通空間。居心地よく、にぎわいを生む広場空間」を方針として2025年3月に基本計画が確定した。今後具体的な設計を経て着工、完成を目指す。

 南口広場西側には南北に線路を渡る都道が走り、広場と直結しているため人と車の動線が重なり危険性が高い。再整備計画ではこれを遮断し、広場への車両の進入は駅正面から南に延びる道路1本に限定してバスやタクシーの流れを整理するとともに歩行者らの安全を確保する。市民の憩いや交流、災害時の利用を含めたスペースも新たに整備する。

 現在の南口広場は約50年前に整備され、当時の西武新宿線の駅前としては先進的だった。しかしその後、他の駅でも施設や駅前広場の整備が進んだことから後れが目立つようになった。何もなかった北口は2010年に駅前広場とロータリーが完成、バス、タクシーが利用しやすくなり、地下自転車置き場、メディカルビルなどもできて面目を一新した。

 一方で南口の再整備計画に対する疑問も出ている。現在改札口前には前回の駅前広場整備の記念で植えられたケヤキの木が大きく育ち、その木陰は市民にとって憩いの場所になっている。ところが酒などを持ち込んでたむろしたり、隣に設置されたトイレが壊されたりといった問題への苦情が絶えない。今回の計画ではケヤキもトイレも撤去されることになっており、この問題を一気に解決したい思惑も浮かぶ。しかし親しまれた樹木を撤去するだけでいいのか、トイレはどうするのかなどは「検討中」とされ、ほかにもロータリー内の交通規制についても未定。さらに踏切を渡る都道の拡幅は今後の課題のままだ。

 久米川駅の根本的欠陥は立体性のなさであることが以前から指摘されている。南口と北口をそれぞれ整備しても、平面上に広がっている以上南北は泣き別れ、連続性、一体性には限界がある。構造上線路自体の地下化や高架化が難しい中では駅施設を立体化するしかないが、かつてあったという南北の大型店舗を自由通路でつなぐ計画も実現していない。

 南口のある商店主は「今回の再整備計画に向けてはいろいろ意見を募ったようだが基本構造が変わらない以上マイナーチェンジというしかない。金の使い方が中途半端にならなければいいが」と話した。

▼とん挫した「新久米川駅構想」

 実は久米川駅周辺の抜本的開発計画が20年前にあった。東京都府中市から千葉県松戸市まで東京、埼玉、千葉を大きく周回するJR武蔵野線が開通したのは1973年。東村山市もその経路に当たっており、西武新宿線とは久米川駅東側で交差するが地下を走り抜けるだけで接続していない。

 久米川駅での武蔵野線との接続という願望や構想は当初からあったと思われるが、主に貨物線として運行されるというイメージから大きく盛り上がることはなかった。しかし、首都圏の広がりや武蔵野線の通勤線としての利便性の向上により、両線の接続を東村山市の発展に活用するアイデアが浮上した。

 東村山市の委託で民間シンクタンクが1991年にまとめた「新駅等検討調査報告書」では、「新久米川駅」を設置して両線を接続すれば利便性が増し、地域の発展が促されると提言。新たな駅施設、駅前広場を建設する費用を約100億円と試算した。このアイデアは「東村山市都市計画マスタープラン2000-2020」で取り上げられ「実現に向けた可能性を、長期的取り組みとなりますが、検討していきます」としている。

 しかしその後市長の交代や財政状況の変化により立ち消え状態になっている。しかしまったく夢と消えたわけではない。久米川駅の移設と新たな駅前広場建設とは異なり、武蔵野線に新久米川地下駅を設置して地域の魅力を高め、乗り換え客の流れも商店街活性化に結び付けようという構想だ。

 北に約3・8キロの武蔵野線・新秋津駅(東村山市)も、約400メートル離れた西武池袋線・秋津駅との間の商店街が乗り換え客などによるにぎわいをつくり出した。久米川駅地元の商店主や住民でつくる「まちづくり研究会」の小町幸生さんは「複数路線の接続によって地域が発展する例は数多い。夢だけに終わらせず新久米川駅構想に期待を持ち続けたい」と話す。

チャンス到来か

 今年6月、武蔵野線と西武池袋線で2028年度をめどに直通運転を始めることが検討されているとの報道が一斉に流れた。両線は東村山市秋津町で連絡線によってつながっている。連絡線は営業運転を想定したものではなく、車両運搬などを目的として設置されているが、直通運転が実現すれば現在のように秋津、新秋津駅間を歩くことなく乗り継げる。

 具体的な運行については今後詰めるという。一見東村山市民にとっても朗報のように聞こえるが、あくまでも連絡線なので、武蔵野線の新小平駅(小平市)と西武池袋線の所沢駅(埼玉県所沢市)間を走り抜け、東村山市は素通りということになる。

 そこで「新久米川駅」への期待が再浮上する余地が生まれる。同駅ができれば格好の乗換駅になる。東村山市のほぼ中心部に位置するため同市民の利用も促進されるだろう。「武蔵野線は線路だけ東村山市を通って、市民の利便性にあまり貢献していない」というような不満も解消するかもしれない。

 新久米川駅構想を主張し続ける鈴木たつお・東村山市議は「かつてあった大規模な新駅構想に比べ、地下駅ホームと出入り口だけを建設する案ははるかに費用を節減できる。西武鉄道の現社長は東村山市への強い思い入れを持っておられるとも聞くし、チャンスかもしれない。行政も積極的に動くべきだ」と話している。

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By 飯岡志郎

1951年、東京生まれ。西東京市育ちで現在は東村山市在住。通信社勤務40年で、記者としては社会部ひとすじ。リタイア後は歩き旅や図書館通いで金のかからぬ時間つぶしが趣味。

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